こちらの記事で、私たちは福岡県みやこ町の隠れ里・伊良原で、「木の守護神」とされる句句廼馳神(くくのちのかみ)を知り得たことをお伝えしました。そ
して、天照大神が男神であったかもしれないという驚きの説を紐解く中で、日本の神々や歴史には、記紀(古事記・日本書紀)には記されない、あるいは意図的に隠されてきた側面がある可能性に気づかされました。
今回は、この「木の神」というキーワードを深掘りし、句句廼馳神が、実は謎多き神スサノオ、そして伝説の渡来人徐福、さらには饒速日命(にぎはやひのみこと)とのつながりについて、今分かることを書きとめておきます。
「木の神」句句廼馳神の役割
まずは、伊良原で私たちが出会った句句廼馳神について。
コトバンクの記述を再確認すると、このようにあります。
「日本書紀」にみえる神。伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)から生まれた。「くく」は茎,「ち」は精霊の意味で,木の守護神とされる。「古事記」には久久能智神(くくのちのかみ)とある。
(コトバンクから引用)
句句廼馳神は、国生み神話に登場するイザナギ・イザナミの子であり、その名の通り「木の精霊」を意味する、日本の神話における根源的な「木の神」です。
森林資源が豊かで、古くから木材を利用してきた日本において、この神が祀られてきたのは自然なことと言えるでしょう。
荒ぶる神「スサノオ」もまた「木の神」だった?
句句廼馳神が「木の神」であることは理解できましたが、意外にも、私たちによく知られているスサノオノミコトもまた、「木の神」としての側面を持っていたことをご存知でしょうか?
スサノオといえば、ヤマタノオロチ退治や、疫病を鎮める祇園祭の御祭神(八坂神社など)として有名で、その荒々しいイメージが強いかもしれません。
しかし、『日本書紀』には、彼の別の顔が記されています。
例えば「日本書紀」巻第一の第八段第四と五の一書にそのご活躍の様子が記されておりますので、一部をご紹介いたします。
日本に来られた後、スサノオノミコトは息子のイソタケルと筑紫の国から始めて大八洲国、つまり日本各地に種をまきはじめました。
その時、「さあ、このアゴの毛はスギとなれ。さあ、胸の毛はヒノキになれ。おおそうだお尻の毛も使おうじゃないか!お前たちはマキの木になれ。眉の毛はクスノキとなれ」と御身の体毛から様々な樹木をお生みになりました。
そして「木々よ、育て、育て。スギとクスノキで船を作ろう。ヒノキは家に使おう。マキは大事な人が亡くなった時の棺にしよう」とおっしゃったのです。
こうやって生まれた数多の樹木の種を、スサノオノミコトの子である、五十猛命(イタケルノミコト)と大屋津姫命(オオヤツヒメノミコト)、枛津姫命(ツマツヒメノミコト)の三柱の神が全国に植えていかれました。
スサノオノミコトは日本の樹木をお生みになった神であり、樹木の使い方を示してくださった神なのです。
(武蔵一宮 氷川神社 noteから引用)
この記述は、スサノオが単なる荒ぶる神ではなく、日本の国土に樹木をもたらし、その利用法を教えた「林業の神」「植林の神」としての重要な役割を担っていたことを示しています。
つまり、句句廼馳神が「木の守護神」であるならば、スサノオは「木を生み出し、育て、利用を促した神」と言えるでしょう。
謎多き神「スサノオ」の正体は、伝説の渡来人「徐福」だった?
さらに、この謎多き神スサノオの正体について、驚くべき説を唱える書籍があります。
富士林雅樹氏の著書「出雲王国とヤマト政権」(大元出版)です。
この本には、出雲の王家の伝承として、「スサノオ」が「徐福(じょふく)」であり、同時に「饒速日(ニギハヤヒ)」であり、「火明(ホアカリ)」でもあるという衝撃的な記述が紹介されています。
徐福といえば、秦の始皇帝の命を受け、不老不死の薬を求めて日本に渡来したとされる伝説上の人物です。彼の足跡は日本各地に残っており、その多くが薬草や五穀の伝来、あるいは文化の伝播と結びついています。
同書によれば、徐福が最初に日本にやってきたのは出雲で、その際に「火明」と名乗ったとされます。その後、秦に戻り、二度目に日本に訪れたのが佐賀(九州北部)で、その時は「ニギハヤヒ」と名乗ったというのです。
この話を読んだとき、私はかつて訪れた宮若市の天照神社で、御祭神が「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」と書かれているのを見て、「天照といえば女性ではないのか?」と疑問を持ったことを思い出しました。
つまり、この説によれば、
- 天照(天照大神の別名として)
- 火明(ホアカリ)
- 饒速日(ニギハヤヒ)
これらが全て繋がり、さらにその根源に徐福という伝説の渡来人がいた可能性がある、という壮大な示唆が含まれています。
そして、スサノオがこの連鎖に加わることで、日本の古代史における神々の系譜と、渡来人の影響が、より複雑に絡み合っていた可能性が見えてくるのです。
「空の神」饒速日命と金毘羅信仰の繋がり
饒速日命は、天磐船(あまのいわふね)に乗って空から降臨したとされる「空の神様」であり、先日の記事で金毘羅様が「風と雲の神様」であったという考察と非常に符合します。
金刀比羅宮の主祭神である大物主神(おおものぬしのかみ)が、この饒速日命と同一神であるという説もありました。
このように、
- 句句廼馳神(根源的な木の神)
- スサノオ(樹木を生み出し、利用法を示した木の神、そして荒ぶる神)
- 徐福(不老不死を求めて渡来し、技術や文化をもたらした人物、そしてスサノオ・饒速日の実像?)
- 饒速日命(天から降臨した空の神、大物主と同一?)
これらの存在が、「木」というキーワード、そして「空」というキーワードを通して、一本の壮大な物語として繋がっていくのです。
おわりに:歴史の隙間を埋める旅
「天照大神は男神だったのか?」という素朴な疑問から始まった謎解き旅は、木の神々、そして伝説の渡来人や「空の神」と呼ばれる神々の正体へと広がってきました。
もちろん、これらの説はまだ研究段階であったり、様々な解釈が存在したりするものです。
しかし、記紀が編纂される以前の、あるいは為政者の意図によって書き換えられたかもしれない歴史の隙間に、これらの神々や人物の真の姿が隠されている可能性は十分にあります。
私のような歴史の専門家ではない個人が、こうして現地に足を運び、伝承や文献の断片を拾い集め、点と点を繋いでいく作業は、まるで壮大なパズルを解き明かすようです。
「知らないものは、見えないもの」。
しかし、これからもこの探求の旅を続け、いつか、この複雑に絡み合った糸が一本の明確な線となり、日本の古代史がはっきりと見えてくる日が来ることを願っています。
さらに深堀り
天照大神の男神説や、円空の仏像が示す古代の神々の姿については、こちらの記事で詳しく考察しています。
句句廼馳神と同じ「くく」の名を持つ菊理媛、そして天照大神の「荒魂」とされる瀬織津姫、さらに牛頭天王といった「対なる神々」が、古代信仰の中でどのように織りなされてきたのか。その謎はこちらで深掘りします。
金毘羅様が「海の神様」ではなく「風と雲の神様」であったという事実、そして金毘羅宮の主祭神である大物主神が饒速日命と同一神であるという説については、これらの記事も併せてお読みいただくと、より深く理解が深まります。