「こちらの古墳にいらっしゃったなら、胸の観音にも行かれるといいですよ」
みやこ町勝山黒田の綾塚古墳の駐車場で、お散歩中の御婦人からそう教えてもらい、気になっていた「胸の観音」。
4月の晴れた日に行ってみました。
胸の観音に行ったことがあるという知人に確認し、運転下手な自分はまた綾塚古墳の駐車場に車を置かせてもらった。
胸の観音には広い駐車場もあるそうだが、途中道が狭いところもあるらしく、バックにも離合にも自信がないので、のんび歩いて行くことにした。
駐車場から綾塚古墳駐車場まで徒歩28分。
登山と思えば歩けるはず。

胸の観音寺への看板を頼りに舗装道をしばらく歩くと、左手に石仏が祀られている建物が現れ、さらに進んで行くと、胸の観音寺の入口らしき場所に出ました。
「胸の観音寺 参道入口」の看板と杖が目印です。
駐車場はそこの更に奥のようでした。

参道をのぼり、胸の観音を目指します。

山は自然が豊か。
シャガの花が綺麗でした。

更に歩いていくと、建物や看板が現れました。
「渇き水」?飲水なのでしょうか。
面白い場所に蛇口があります。

大木に苔の緑が映えます。
森林浴にハイキング。心身に効きそうです。
運動不足の体にも。


斜面を見ると、巨石が見えてきました。
空が見えてきたので、あの辺りが山頂のはず。

石段のラストスパート。

見上げたら、建物が見えました。
古いものではなさそう。


「気をつけてお帰り下さい」の看板。
どうやら胸の観音寺エリアに到着したようです。



個人的な印象ですが、日田の「高塚愛宕地蔵尊」に雰囲気が似ている気がしました。


お知らせなどが掲示されていました。
綾塚古墳の駐車場でお会いした女性が話してくれた「胸の観音 春の大祭」の情報もありました。
掲示を撮って、さらに進むといよいよ。

かなりの大きさの巨石が積み上がっています。
元々こうだったのか、人為的なものなのか。見当もつきません。

胸の観音由来
今を去る千年の昔延永(行橋市水):一人の心優しい長者ありこの長者 弥生(やよい)五月(さつき)早苗(きなえ)という三人の姫あり、いつれも容貌うるわしく特に末娘の早苗姫は信心深く特に観音信仰、長者の持田は「千町東千町」といわれ垂仁天皇の御代に築かれた小松ヶ池(現在藤山町池田区) の水なりうるおされてきたこの小松ヶ池は七流大谷より当時に蒼たる森にかこまれ 昼尚暗く近づく人もなく七尾の大蛇棲み里人な二人として近づく者がなかった
長者の持田はおんか全部まったく田植ができず
長者に村人と相談の未小松ヶ池の竜神谷に行き竜神に雨を乞い 「雨をふらしたまわらば、わが三人娘のうち二人を差上げよう」と誓い長者が帰途につくと小松池竜巻が起り沛然と京雨となり数千町歩の国もたちまち田植ができたが、長者は竜神えの約束と思さねばと心を痛めた、この時 末娘の早苗姫は困り果てた長者に「人柱のお役目は私が引受けましょう」と 乳母のおずき伴い多くの百姓達に見立てられ(現在見立という部落あり) 小松ヶ池に向竹のヤグラに端座し香を焚き竜神の現はれるのを待った、案にたがわず池中に紫波が立ち鏡の様な眼をランランと光らせた大蛇が現れ姫を一呑みせんと襲いかからんとしたこの時姫は観音経を読誦し一巻を読み終るごとに木綿針にて綴じ池の中に投げ入れることを八たび、経巻を呑みし龍神は観音経の法力と針の痛手に成仏せり、早苗姫は乳母にうながされて帰途につき鹿ヶ峯の山頂「現在胸の観音を祀りし所」に差し掛かると、にわかに胸の痛みを覚え乳母の手厚い看護もかいなく次第に力つき?終も迫りし時「われ観音に救はれ今また来迎をうけ仏となる、向後われを念じる者は万病万難を免かるべし」と一言残し静かにこの世を去れり、村人はその慈悲に満ちた靈を岩窟(日本一の大岩)の中に安置し「胸の観音」と称えて信仰し今日に至れり
尚奥の院は小松ヶ池に千年の修業を積みし龍神を祀りし祠あり
合掌
祭日 春季大祭 五月 第二(日)
胸の観音があるこの山は、かつて「鹿ヶ峯」と呼ばれていたこと、現在の「藤山町池田区」に「小松ヶ池」があること(あった?)。
気になるキーワードです、また調べなければ。

胸の観音には「奥の院」もあります。
看板を見ながら向かいます。

少し降って、またのぼっていき、突き当りを右へ行くと

こちらが奥の院です。
奥の院については看板に「尚奥の院は小松ヶ池に千年の修業を積みし龍神を祀りし祠あり」と書かれていました。

奥の院を反対側に行くと、ここにも巨石がありました。
間を通ることができそうに見えますが、逆戻りしました。


鳥居が沢山連なった先の山の上には稲荷大明神もありました。
お寺の中にお稲荷さん…国東半島の両子寺も、たしかそうでしたね。

この建物が何だったか記憶にないのですが、建物の屋根の上に鯱?がいました。
鯱といえば屋根の両端にくっついているイメージでしたが、こちらは屋根のトップ部分ですね。

眺望といえば、休憩室からの眺望がとてもよかったです。
この日はちょうど午前中に行事があったそうで、平日でしたが世話人の方がいらっしゃったので、色々お話を伺うこともできました。

帰り際、参道入口付近に戻って

阿形の仁王像。よく見ると頭部の上部が無くなっている?


あらためて仁王像を見てみると、なんだか両子寺の仁王像に似ている気がしました。


仁王像撮影も、またじっくり取り組みたいテーマです。
この日の史跡めぐりはここで終了。
しっかり歩いて、また徒歩で綾塚古墳の駐車場まで戻りましたが、心地よい運動になりました。