以前、みやこ町の歴史民俗博物館に行った時、館内のスタッフの方から「すぐ近くに古墳がありますよ」と教えていただいてから気になっていた、甲塚古墳(かぶとづかこふん)にようやく行くことができました。

歴史民俗博物館の方から古墳の前にスペースがあると聞いて、そこに車を停めさせていただきました。
(ゴミ捨てに来ていた地域の方からも「停めて大丈夫と思いますよ」とお声をいただき)

甲塚方墳
豊津町の丘陵地には、6世紀から7世紀前半にかけての古墳が、数多く残されています。特にここ甲塚周辺にはやや大形の直径20~30mの円墳が集中しています。当古墳は6世紀後半に築造された、九州最大級の方墳です。墳丘は三段築成まで、東西の長さ約43m、南北幅約35m 高さ約9mの規模をもちます。 墳丘の四面は正確に東西南北方向に面していて、頂上部分を除いてほぼ全面に葺石が敷きつめられています。 また、周囲には周溝と周堤がめぐらされています。
古墳の内部には横穴式石室が築かれ、奥の玄室には右棺または桐棺が置かれ、旧仲津郡の首長が埋葬されていたと推定されます。しかし、後世の盗掘により、石室内部には副葬品がほとんど残されていませんでした。なお、当古墳の南側には、奈良・平安時代の国道であった大宰官道が東西方 向に走っています。この道を東に行くと大分県宇佐八幡神社、西に行くと大宰府へと続いていまし た。
6世紀後半に築造された、6世紀最大の方墳…方墳とは墳丘(土や石を積み上げた盛り土)が四角形になっている古墳のことらしいです。

逆側から見てみました。
四角錐ってことでしょうか、ピラミッドみたいな。


看板の情報によると、頂上以外は全て葺石が敷き詰められているそうです。
頂上は何か別のものが置かれているのでしょうか。
のぼってよいものか分からなかったので、また別の機会に調べるかしたいと思います。


これこそ風光明媚というのでしょうか。
古墳から見下ろせる場所には大きな池が、見上げた場所には小さな山がありました。


古墳の西側には、フタコブラクダのような山が2つ。


長養池の先、古墳の南東側に見える山々は、築上町や豊前方面でしょうか。

ではそろそろ、古墳の深部へ向かいましょう。
私、怖がりなので晴れた日にしか来れません。


甲塚方墳の石室について
石室は巨石利用の横穴式石室で、玄室・前室・墓道からなります。長さは約14.5mで、玄室の高さは4.6mをはかります。前室・墓道は破壊されていたため、復元しています。

では古墳の入口へ。

むぅ…ど迫力です。というか怖い。

入口ギリギリのところに立って、ズームで撮影した画像を明るくしました。
リアルで見ると暗かったです。
そのうえ、雨が降っていないのに天井からピチョンと水滴…
古墳好きの人はここにグイッと入って、写真撮りまくりなんですよね。
古墳好きな方に、お任せしたいと思います。

外に出て切り株を見て、深呼吸。
のどかで気持ちがよいロケーションです。

さて車を移動させようかと思ったら、古墳の向かい側の小さな山の麓に、石灯籠が見えました。
神社や仏閣があるのか?向かうことにしました。
向かった先は八景山。
そこで思いがけない発見がありました。
それについては次の記事でお伝えします。
甲塚古墳の場所
福岡県みやこ町
このエリア、池や古墳が実に多いのです。
これだけ密集している場所、住んでいた東大阪市・広島市・北九州市、それに今住んでいる豊前市でもお目にかかったことはありません。