宇佐神宮や六郷満山の歴史研究ならこの方、と専門家から推薦された本を読んだところ分かったのは、自分が知りたいのはそれ以前の歴史ということでした。
ひとことでいえばそれは、史書には記録されず、神社の御祭神からもその名を消された、一対の男神と女神。
消された寺院「滝宮牛頭天王」。
天照大神の荒魂「瀬織津姫」の存在。
祇園祭や高野山の曼荼羅に残された男姿の天照大神。
不思議に思いながらも移住した豊前や周辺のエリアである中津市や国東半島、みやこ町や築上町などを巡っていると、「やはり何かあるのか」と思ってしまう歴史の跡が見えてくるのです。


たとえば最近では、春日灯籠と、四角錐の屋根を持つ金毘羅灯籠が気になっています。
石灯籠について情報は少なく、Amazonで見つけた専門書といえば昭和40年代に出版された「石灯籠入門」ぐらいでした。
しかし奈良時代に仏教と共に日本にやってきた石灯籠、何か特別な意味があってもおかしくありません。
私はこの石灯籠の形は、特定の神または仏に捧げるために、決まった形をしているのではないかと仮説を立てています。
歴史の記録は、時の権力によって書き換えられることがあります。
しかし、石灯籠のように簡単に壊せないもの、そして汐汲み神事のように何百年も続いてきた祭りといった、有形・無形の「痕跡」は、当時の事実を語り続けているように感じます。
文献にはない「物語」が、この土地には今も息づいているのでしょうか。
ただそれを書き残そうとするのは、決して「何が正しいか」を証明するものではありません。
目の前にある「事実」から、可能性がある歴史のストーリーを具現化しているだけです。
たとえ今は学術的に認められなくても、この先誰かが、残した記録をきっかけに、新たに何かを発見してくれるかもしれません。
過疎化が進んでいる地方を巡っていると、このままならそう遠くない未来、歴史の跡が消えてしまうかもしれない。
そう思って、活動を止められずにいます。