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鬼は仏で猿田彦?【豊前神楽が語る古代信仰の変遷と隠された真実】

姫路と国東半島の「鬼会」に隠された謎を追う中で、「鬼」が単なる悪役ではない、特別な意味を持つ存在であることを見出しました。

しかし、その「鬼」の正体は、さらに深い場所へと私たちを誘います。

 

実は、私の拠点である豊前市の古社「大富神社」では、神楽に登場する鬼が「猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)」と伝わっているそうです。

さらに、中津市の白鬚神社の宮司さんからは、明治時代に神楽のセリフやストーリーが変更されたという、驚くべきお話も伺いました。

 

これらの情報は、歴史書には記されない、地域に根ざした「生きた歴史」の証言です。

今回は、豊前神楽の鬼が持つ多面性、そして「神=鬼=仏」という独自の信仰観が、いかにして形成され、そして改変の波を乗り越えてきたのかを想像してみました。

大富神社 本殿 赤鬼と青鬼の面
大富神社 本殿 赤鬼と青鬼の面

神楽の鬼、その正体は猿田彦大神?

豊前神楽の大きな特徴は火を使う「湯立」という演目
豊前神楽の大きな特徴は火を使う「湯立」という演目

豊前神楽において、鬼は「鬼神(きしん)」と称され、畏敬の念をもって扱われます。

そして、大富神社の伝承では、この鬼神の正体が猿田彦大神であるというのです。

 

猿田彦大神といえば、天孫降臨の際に道案内を務めたとされる、鼻が高く、背の高い、力強く導きの神として知られています。

彼が神楽の鬼として登場するということは、豊前神楽の鬼が、単に荒ぶる存在ではなく、聖なる導き手や守護者としての役割を担っていたことを強く示唆しているように思えます。

 

これは、前回の記事で触れた、国東半島の修正鬼会における「鬼は仏の化身」という考え方にも通じるものがあります。

一般的な「悪者」としての鬼のイメージとは異なる、神聖で、時には人々を救済する存在としての鬼。

この地域に共通する、鬼への独特の解釈が見えてくるようです。

「鬼が仏になった里」が示す「神=鬼=仏」の融合

国東半島は、「鬼が仏になった里」として知られています。

この言葉は、仏教伝来以降、もともと地域に存在した神道や自然信仰、そして外来の仏教が融合し、神も鬼も仏も、同じ根源的な力を宿す存在として捉えられてきた歴史を示しています。

 

豊前神楽の鬼が「鬼神」であり、その正体が猿田彦大神であるという伝承は、この「神=鬼=仏」という融合の思想が、国東半島だけでなく、豊前地域にも深く根付いていたことを教えてくれます。

 

災害や疫病といった人智を超えた出来事に対し、古代の人々は様々な形で祈り、鎮めようとしました。

その中で、「鬼」という姿は、恐ろしい面を持ちながらも、それを乗り越えるための「荒々しい力」の象徴として、あるいは「異界からの使者」として、神々や仏と同一視されるような存在になったのかもしれません。

明治の改変:政治が信仰に介入した痕跡

しかし、このような複雑で多層的な信仰の形は、ある時代に大きな揺らぎを経験します。

それが、明治時代に行われた神仏分離令と、それに伴う国家神道の推進です。

 

中津市の白鬚神社の宮司さんの言葉は、この時代の政治的な圧力が、いかに地域に根ざした信仰や祭礼の細部にまで及んでいたかを如実に物語っています。

神楽の台本が変更されたということは、そこに込められていた、時に曖昧で、時に矛盾しているように見える「神=鬼=仏」のような思想が、国家が求める統一的な神道観に合わないとして、意図的に削除されたり、修正されたりした可能性を示唆しています。

 

歴史書からは見えにくい、このような地方レベルでの信仰の変遷は、私たちが日本の古代信仰を理解する上で非常に重要です。

なぜなら、為政者によって「整えられた」歴史の背後には、常に人々の素朴な信仰心や、地域ごとの多様な解釈があったからです。

「史料にはない声」が導く真実

私たちは、歴史を紐解く上で、古文書や考古学的な発見といった「史料」に頼ることがほとんどです。

しかし、豊前神楽や大富神社の伝承、そして白鬚神社の宮司さんの言葉のように、地域に口伝として残る情報や、現地の祭礼の形そのものが、より生々しい真実を語ってくれることがあります。

 

豊前神楽の鬼が猿田彦大神であり、国東半島の「鬼が仏になった里」が「神=鬼=仏」の融合を示すという見解は、まさにそのような「史料にはない声」が私たちに教えてくれる、古代信仰の多層性を示しているのではないでしょうか。

 

日本の地方には、文字にされないまま、しかし脈々と受け継がれてきた歴史の記憶が、まだ数多く眠っているのかもしれません。

私は謎を追って史跡を巡りながら、そんな風に感じています。

さらに深堀り

姫路と国東半島の「鬼会」に隠された謎とは。こちらから詳しく。

 

天念寺に祀られていたのは八大龍王という情報を歴史の専門家から得られました。

 

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