
古来より、日本各地には数多の神々が祀られてきました。
しかし、その中には、歴史の表舞台から姿を消し、ひっそりと隠された存在として語り継がれてきた神様もいます。その代表格こそが、瀬織津姫(せおりつひめ)。
瀬織津姫は、水の神、滝の神、祓(はらい)の神として、古来より人々の穢れを清め、厄災を祓う力を持つと信じられてきました。
しかし、その名前が記紀神話から消されたり、他の神様の影に隠されたりしてきた経緯は、今なお多くの歴史愛好家が謎として追っています。
「なぜ、その存在は隠されたのか?」
今回は、その謎解き旅の一環として、愛媛県内で瀬織津姫が祀られているとされる神社をリスト化しました。
自分のメモ代わりでもありますが、よろしければご参考にどうぞ。
*素鵞神社(そがじんじゃ)
HP:http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=1302
御祭神:須佐之男命(すさのをのみこと)、瀬下津姫命(せおりつひめのみこと)、速開津姫命(はやはきつひめのみこと)、息吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)、速佐須良姫命(はやさすらひめのみこと)
HPに「創祀不明。古代弥生時代の遺跡多く菊間は河之内より開けたという伝承もあり地名の太夫埼、神子、宮の上、宮谷、神子谷は神社に関するものであろう。社号は藩政時代牛頭天皇宮であったが、明治3年神仏分離により素鵞神社と改称した。」
*湊三嶋大明神
HP:https://www.minatomishima.jp/
参考書籍には「松山市港山町1925」と記載。
HPに「往古より住民並びに航海を業とする者など、伊予の熟田津、成田津、秋田津の総守護神、三津大明神として尊崇し、湊大明神とも称え、後に湊三嶋大明神とされた。
南北朝時代には伊予の豪族・河野氏の守護神としてもあがめられ、また近隣の人々も海の安全と繁栄を願ってきた。」と記載。
GoogleMapの投稿画像で「春日灯篭」らしき石灯籠を確認。
*剣長神社(けんちょうじんじゃ)
HP:http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=5611
御祭神:猿田彦命(さるたびこのみこと)大己貴命(おほなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
HPに「※氏子区域を持たない神社」と記載。←あまり見たことがないのでメモ。
*中山神社
参考書籍には「四国中央市新宮町馬立549」と記載。
そばに「銅山川」が流れる。
HPに「由緒不詳の小宮が6地区に鎮斎されていたのを明治8年に合祀し、更に明治42年年旧村社『三社神社』を合祀したが、昭和49年新宮ダム建設に伴い水没することやむなきに至り、昭和52年」と記載。
*豊田神社
HP:http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=4283
参考書籍には「伊予市双海町串1739」と記載。
HPに「創立未詳。寛正7年の神社調に河内神社と奉斎されたとある。明治43年12月1日、元村社河内神社へ一宮神社金刀比羅神社、弓削神社、明神社、祇園神社を合併合祀し、豊田神社と改称した。」と記載。
見つからなかった神社
*松柏神社
八幡浜市松柏野中甲449
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参考書籍について
※書籍内の「瀬織津姫神全国祭祀社リスト」を参考にしておりますが、このリストは「神社本庁・各神社庁の資料、および各市町村史(誌)等を参考に、原則として『瀬織津姫』と祭神表示してまつっている神社に限定して掲載」しているそうです。(=天照大神荒魂・八十禍津日神・祓戸大神等の異称表記は除いておられる)
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