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【謎の女神】瀬織津姫を追う旅:隠された存在と水の神・龍神信仰の繋がり

日本の古代史や神社の謎を紐解いていくと、たびたびその名が浮上する、ある女神がいます。

その名は瀬織津姫(せおりつひめ)

前回の記事で、宇佐神宮の真の御祭神がこの瀬織津姫、さらには豊玉姫(と卑弥呼とされるひとり)である可能性について触れましたが、今回はこの謎多き女神、瀬織津姫の存在に焦点を当ててみたいと思います。

 

なぜ彼女は「隠された女神」「消された女神」と呼ばれるのでしょうか?

「大祓詞」に登場する、隠された女神

瀬織津姫の名前は、神道の祭祀で唱えられる「大祓詞(おおはらえのことば)」に登場します。

この祝詞は、罪や穢(けがれ)を祓い清めるために奏上されるもので、瀬織津姫は、四柱の祓戸(はらえど)大神の筆頭としてその名が挙げられる重要な存在です。

 

さらに、彼女は伊勢神宮の主祭神である天照大神(あまてらすおおかみ)の「荒魂(あらみたま)」としても祀られています。

荒魂とは、神の魂が持つ穏やかな側面(和魂)と荒ぶる側面のこと。

つまり、瀬織津姫は、天皇の祖神として公に認められている天照大神の、もう一つの顔であるとされているわけです。

 

神道にとっても、皇室にとっても重要な神様と言えるはずですが、不思議なことに、日本の公的な歴史書である『古事記』や『日本書紀』には、この天照大神の荒魂とされる「瀬織津姫」についてはほとんど記されていないとされます。(天照大神や宗像三女神は両書に明確に登場します。)

 

この「記されない」という事実から、瀬織津姫は「存在を隠された」「消された」ともいわれる女神という、特別な側面を持つようになりました。

なぜ、これほど重要な神が、史書に記されなかったのか。

この点が、彼女を巡る最大の謎です。

瀬織津姫と「水の神」「龍神」信仰の繋がり

瀬織津姫は、罪や穢を川の水で清める神と言われ、その性格から水の神、滝の神、龍神、白龍または黒龍、弁財天(べんざいてん)と習合(しゅうごう)しているなどの情報も数多く見られます。

 

特に、宗像三女神の一柱である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が近世に弁財天と習合した例はよく知られています。

宗像神、特にイチキシマは近世に弁才天(弁財天・弁天)と習合した神社が多いが、他神と習合した場合もあり、一般にそれ以前から祭られていた神(主に女神)に習合したものと考えられる。(中略)明治初頭に習合が外されたとき、宗像神の場合多くが三女神を祭る神社となったようである。

 

(静岡理工科大学 名誉教授 矢田 浩氏「宗像・沖ノ島と神から見える日本の古代―宗像神信仰の研究(5)―」より引用)

この水の神、龍神としての側面が、瀬織津姫と貴船神社の繋がりを深く示唆しているように思えます。

なぜこのエリアに貴船神社が多いのか?

豊前市に移住して以来、私が遭遇したもう一つの大きな謎は、この地域に貴船神社が非常に多いことでした。

上記の地図の青いランドマークが貴船神社です。ネットで簡単に調べただけでもこの数。

 

上記の地図の青いランドマークが貴船神社です。ネットで簡単に調べただけでもこの数。

総本社がある京都の貴船神社の数よりも、この中津市・宇佐市エリアの貴船神社の数のほうがずっと多いのです。(京都市エリアにはひとつ)

 

これほど集中しているということは、この地こそが、貴船信仰の深いルーツを持つ場所なのではないかと、不思議に思わずにはいられません。

 

貴船神社はその多くが龗神(おかみのかみ)という龍神を祀っています。

そして、一部の貴船神社や研究者の間では、「貴船神=瀬織津姫」であると主張する声も聞かれます。

 

例えば、福岡県の海沿いにある福津市の波折神社(はおりじんじゃ)の公式ホームページでは、主祭神が「瀬織津姫大神(または貴船神とも称す)」と明記されています。

波折神社は、瀬織津姫大神(または貴船神とも称す)、住吉大神、志賀大神の三神を祭神としています。

 

(波折神社公式ホームページより引用)

静岡理工科大学の矢田浩名誉教授が出している論文のなかにも、龗神(木船神=貴船神)とは宇佐の女神、卑弥呼(比咩神(後セオリツヒメ))であったことが、様々な数値の関係性から推測されています。

たとえ史実に書かれていないことでも、神社の場所や数、御祭神の種類などから、関係性を調べることができるようです。

消された女神の痕跡を追う

謎が多い瀬織津姫ですが、彼女の名前が記されていない場所でも、その存在を思わせる痕跡が各地に残っています。

 

例えば、豊後高田市黒土の無動寺鎮守「身濯神社(みそぎじんじゃ)」に祀られているのは、黄泉の穢れから生まれたとされる災厄の神「八十枉津日神(やそまがつひのかみ)」です。

瀬織津姫が穢れを祓う神、八十枉津日神は穢から生まれた神と対局にあるように見えますが、菊池展明氏の著書『円空と瀬織津姫』には、これらが同じ女神を指していると書かれています。

 

また、同書によれば、瀬織津姫にしても、他の御祭神にしても、特定の期間に神社の名前が変えられたり、御祭神が変えられたりしたということが詳細に伝えられています。

それが、藤原不比等が編纂に関わったとされる『日本書紀』や『古事記』が登場する奈良時代初期と、神仏分離令が出された明治維新の時期だったという情報があります。

 

明治維新の「廃仏毀釈」によって、それまで許されてきた神仏習合の信仰は大きく変化しました。

仏教が日本古来のものではないという理由や、天皇中心の王権復古の流れの中で、神道と仏教が明確に分けられたのです。

 

瀬織津姫を含め、御祭神や神社名が変更されたということは、奈良時代にも同様の動きがあった可能性が考えられるのではないでしょうか。

つまり、ある意図を持って、神々の系譜や存在が「整理」された時期があったのかもしれません。

「ミズハノメノカミ」との繋がり

水の神として知られる「ミズハノメノカミ(罔象女神・弥都波能売神)」も、瀬織津姫との繋がりが指摘される神の一柱です。

 

実際に、宮崎県にある古社では、「ミズハノメノカミ」を祀る境内社があり、その神が瀬織津姫と同一神であると伝えられていました。

この情報が示すように、歴史の表舞台からは姿を消したとされる瀬織津姫ですが、地方の古社や、神社の御祭神、そして地元の伝承の中に、その痕跡は今も確かに息づいているのかもしれません。

おわりに。謎は続く

「卑弥呼が誰だったのか」「どこが邪馬台国だったのか」といった壮大なテーマは、たとえ歴史の専門家であっても、意見が分かれたり、文献がない時代のことゆえ立証が困難な部分が多く残されています。

 

しかし、今回ご紹介したような「神と神社」という視点から、古来より人々が何を信仰し、どんな歴史を紡いできたのかを考察する旅は、私たち個人にとって、尽きることのない冒険です。

 

静岡理工科大学の矢田浩名誉教授が論文で述べていたように、「文献と考古学の隙間を埋めるものとして、神と神社に注目することが重要」なのかもしれません。

古事記にも日本書紀にも書かれていないのに、その時代からあった史跡もこのエリアには数多く残っています。

 

これまで読んできた本や論文、そして実際に目で見てきた史跡から、「『古事記・日本書紀』が全てというわけではなさそうだ」という思いを強くしています。

先祖たちが後世に残すために隠した謎を追うように、これからもこの謎解き旅を続けていきたいですね。

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