
古来より、日本各地には数多の神々が祀られてきました。
しかし、その中には、歴史の表舞台から姿を消し、ひっそりと隠された存在として語り継がれてきた神様もいます。その代表格こそが、瀬織津姫(せおりつひめ)。
瀬織津姫は、水の神、滝の神、祓(はらい)の神として、古来より人々の穢れを清め、厄災を祓う力を持つと信じられてきました。
しかし、その名前が記紀神話から消されたり、他の神様の影に隠されたりしてきた経緯は、今なお多くの歴史愛好家が謎として追っています。
「なぜ、その存在は隠されたのか?」
今回は、その謎解き旅の一環として、山口県内で瀬織津姫が祀られているとされる神社をリスト化しました。
自分のメモ代わりでもありますが、よろしければご参考にどうぞ。
*客織津姫神社
〒740-0811 山口県岩国市錦町須川3859 須川河内神社(境内社)
HP:https://jinja-net.jp/jinjacho-yamaguti/jsearch3yamaguti.php?jinjya=25434
そばに「金毘羅社」と「江龍寺」、 「宇佐川」。
GoogleMapの投稿画像で「右三つ巴紋」を確認。
*繁枝神社(しげしじんじゃ)(合祀)
HP:https://jinja-net.jp/jinjacho-yamaguti/jsearch3yamaguti.php?jinjya=6882
HPに「一 往古、この土地を大股(オオマタ)と称しておりましたが、当時は鎮守の神として祭るべき神社がありませんでした。田畠の稔りも悪く、狐狸が作物を荒らし、年々流行病が絶えず里人は大いに難儀を続けておりました。たまたまその頃、九州地方の戦乱をさけて、大股の里へ移り住んできていた、日津喜麻呂豊国宿禰が守護神を奉祭しておりましたのでこの里の有力者、下津五郎万正好という方が土地の鎮守の神として申し請け下津令に社を建て(現在、通称踊り場)初めて祭礼が行われました。すなわち天武天皇の御代白鳳13年秋9月(1287年前)のことでありました。これがわが繁枝神社の創建の由来であります。(豊国宿禰の子孫は、その後代々神社に奉仕して現在にいたっております) 」と記述。
他のエリアで瀬織津姫が祀られている神社を探す
参考書籍について
※書籍内の「瀬織津姫神全国祭祀社リスト」を参考にしておりますが、このリストは「神社本庁・各神社庁の資料、および各市町村史(誌)等を参考に、原則として『瀬織津姫』と祭神表示してまつっている神社に限定して掲載」しているそうです。(=天照大神荒魂・八十禍津日神・祓戸大神等の異称表記は除いておられる)
瀬織津姫関連記事
「貴船神社」と「瀬織津姫」そして「水の神・龍神」との関係について考察を進めています。
瀬織津姫と深く関係している?牛頭天王(スサノオ)と瀬織津姫の関係について考察しています。
巴紋には向きがあることに気付き、その謎を追い出しました。
歴史の謎の記事をまとめて読むにはこちらから。
こんな記事もおすすめです
心と体がととのう鎮守の杜歩き。豊の国エリアには多くの鎮守の杜があります。
宇佐市安心院町の知る人ぞ知る、妻垣神社の広大な杜歩きはこちらから
豊前神楽の保存団体のひとつ「友枝神楽」。暑さが厳しかった秋の熱演