大分県・宇佐市や中津市を巡っていると、驚くほど多くの貴船神社に出会います。
関西出身の私にとって、貴船神社といえば「京都の山奥にある、あの一社」しかイメージがありませんでした。
丑の刻まいり、川床料理、そして水の神・高龗神(タカオカミノカミ)。
それ以外に“貴船神社群”が存在するとは思いませんでした。
なぜ、この地域にはこんなに多くの貴船神社があるのか。
そして、高龗神や闇龗神とはどんな神なのか。
その疑問を追いかけていたとき、宮崎県の古い神社の公式サイトで気になる記述を見つけました。
高龗神は宗像三女神の市杵島姫であり、闇龗神は瀬織津姫である可能性がある。
これについては別の記事に詳しくまとめていますが、高龗神=市杵島姫という解釈には、いくつか気になっていた点がありました。

白と黒の象徴 ― 陽と陰、男性と女性

古来、日本では
白=陽・男性
黒=陰・女性
を表すといわれています。
太陽と月の関係にも重なります。
そして「白と黒」は水神・龍神の祈りとも深く関わります。
奈良県吉野地方の丹生川上神社上社では、古くから雨乞いには黒馬を、晴天祈願には白馬を奉納してきました。
これは「絵馬」の起源ともいわれます。
白=晴れ
黒=雨
「てるてる坊主」もかつては白が晴天祈願、黒が雨乞いに使われていたそうです。
こうした象徴体系を見ていくと、高龗神(白)と闇龗神(黒)が自然の陰陽バランスを司る存在として理解できるのかもしれません。
弁財天と白蛇、そして黒龍

気になっていたのは弁財天でした。
弁財天といえば「白蛇」のイメージがあります。
市杵島姫や瀬織津姫と同一視されることもあります。
しかし調べてみると、“白蛇は弁財天そのものではなく、使いである” という点に辿り着きました。
これを知ると、別の図が浮かび上がります。
修験道の行場に多い不動明王。
彼の剣に絡む黒い龍。
白蛇(使い)と黒龍(象徴)。
陰陽の対となる存在。
龍神信仰の世界では、神とその象徴(使い)が別の色を持つ例が珍しくありません。
闇無浜神社に伝わる「安曇磯良」の姿

最近、国東半島の古社の元宮司さんが書かれた本に出会い、この疑問がさらに別の方向へとつながっていきました。
その本では、中津市・闇無浜神社の御祭神の正体について、次のように述べられていました。
闇無浜神社の真の御祭神は安曇磯良である。
そして住吉神社の本来の御祭神でもある。
闇無浜神社の由緒には「豊日別国魂神」と「瀬織津姫」が古い御祭神として記されています。
元宮司さんの説によれば、この「豊日別国魂神」こそが安曇磯良なのだそうです。
その裏付けとして挙げられていたのが、近くの福岡県吉富町・八幡古表神社に伝わる 「細男(サイノウ)舞」。
これは奈良・春日大社にも伝わる古い舞で、安曇族・海人系の文化を示すものとも解釈されています。

安曇磯良と貴船神社がつながる理由
ここから先は、私自身の仮説です。
宇佐市長洲で「龍」がつく寺院が消されていたこと
瀬戸内海一帯で崇拝された海神・龍神
山中の“龍・竜王”信仰(大分県安心院町)
そして数多くの貴船神社群
これらがひとつにつながると感じたのです。
安曇磯良は男性です。
もし彼が高龗神の姿をとったのだとしたら、
対となる闇龗神は誰なのか。
闇無浜神社の古い御祭神が「豊日別国魂神」と「瀬織津姫」であることから、現段階では私は次のように想像しています。
高龗神=安曇磯良(男性)
闇龗神=瀬織津姫=豊玉姫(女性)
白と黒、陽と陰、龍と海。
その象徴的な対比を考えると、この組み合わせは自然に思えてきます。
もちろん、これは文献に書かれている答えではありません。
けれども神社という“現場”を歩いていると、文献では見えないつながりが浮かび上がってくることがあります。
貴船神社の御祭神高龗神・闇龗神をめぐる謎は、まだまだ続きそうです。
この記事を読んでいる方におすすめの記事
日本最古の龍神を祀る神社が右三つ巴紋↓

安曇磯良のルーツに関わるキーワード?↓

謎の記事をまとめて読むにはこちらから↓





