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ぶぜんノート (水曜日, 09 7月 2025 11:19)
藤丸さま コメントありがとうございます。 前回の情報提供のおかげで、駅館川流域の貴船神社に注目することができました。 今回お知らせいただいた神社にも、いつか足を運んでみたいと思います。 今回の大神氏の情報もありがとうございます。 現地に行って、詳しく見てみなければ気付けない情報ばかりです。 また何かお気づきのことがあれば、お気軽にコメントいただけたら幸いです。
太宰少弐藤丸 (水曜日, 09 7月 2025 03:13)
ご無沙汰しております。ぶぜんノート様。 貴舩神社と鐘馗信仰のお話しを持ち出しました藤丸でございます。 長のご無音お許し頂きたく。 と申しますのもその後貴舩神社をぐるぐるしておりましたが、どうも八幡社?貴舩社? どっちなの?というお社が多く、また申し訳ございません鐘馗さまを確実に確認 出来ますのが柳ヶ浦地区に住吉社と合祀されてされております貴舩社の奉納絵。 そして一番これを言わなければなりませんでした、法鏡寺の貴舩社について。 八幡信仰のきっかけとなります鷹居社。大神比義が黄金の鷹となって暴れる八幡神の お怒りをお鎮めするため断食してお祈りしたのが起源なのですが、その駅館川を挟んで 法鏡寺廃寺跡地の真横に貴舩社(法鏡寺)。そしてそれを直線で結ぶ形で宇佐市文化会館ことウサノピア裏にお地蔵様のお堂があります。そのお地蔵様の隣に、ちょこんと 「おや?大変ご無沙汰しております!」と言わんばかりの京大阪の町家の軒先にいらっしゃった鐘馗さまが置かれていた。 そして一番驚いたのがこの地蔵堂の周囲が、なんと大神一族の累代墓地だったのです。 あまり人様のお墓を家捜しするのもバチあたりですが、この際後世に伝える歴史遺産の為お許し下さいと墓碑を拝見致しましたら、まず江戸期(古くは正徳、続いて享保、江戸後期~幕末文化、文政、嘉永年間)のお墓。明治以降はありませんでした(実は明治からの大神氏の足跡もあるのですが、また別のお話で) そして最大の驚愕が、皆様一様に「大神朝臣北何某」つまり「私は大神一族の後裔。姓は“北”名前は〇〇衛門〇〇」というお名前でした。 宇佐の人間として長年やっておりますが、「大神さん」は少しいる。(多くは旧山香町、日出町にいますね) そして大神一族といえば発祥は奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)とされ、この大分県には「豊後大神氏」つまり旧豊後国の方に緒方、臼杵、佐伯という各土豪や地頭として根付いた。「北氏」という土豪は県内どころかこの宇佐でさえ聞いた事がございません。 貴舩社も大神氏も畿内からやって来た。とありますが、この様な痕跡をみますとどうも 後世の創作ではないか? しかも明治以前「北」といえば太陰暦と北極星の「北辰信仰」 ぶぜんノート様に下拝田までお越し頂き誠に恐縮ですが、また駅館川を遡上しますとかつて旧院内町入口に妙見権現。 些かずれますが、宇佐八幡の本宮とされる御許山。かつて大元神社を中心に正覚寺という大伽藍を誇る神宮寺があったそうですが、その後の時代かもしれません。その残骸と 言えば酷なのですが、そこの家政を取りまとめていた方「政所 大神直政」 一体大神氏とは?ついでに宇佐神宮と大和朝廷を結ぶ秦氏。この部族は痕跡さえ宇佐には 無いのに伝承だけが飛まわっています。 また与太話で申し訳ございませんがぶぜんノート様のご興味になります様なお話差し上げられましたら幸いです。 今後ともよろしくお願い申し上げます。
運営者 (月曜日, 23 6月 2025 09:19)
靂さま 情報提供ありがとうございました。 また何かありましたら、ぜひまたお知らせください。 文字が無い時代について調べていますので、視覚での歴史の情報、大変参考になります。
靂(かみのふるめき) (日曜日, 22 6月 2025 03:50)
巴紋は稲光を表すことを、初めて知りました。 雷紋が稲光を表し、魔除けの役割を果たしている事は、世界史、日本史、美術史を学んで知りました。 博物館に展示されていた土器や陶器に雷紋が有ったら、雷紋の知識を応用して鑑賞していました。 美術館に展示されていた掛け軸や絵巻物にも雷紋が有ったら同様に、雷紋の知識を応用して鑑賞していました。 さて、巴紋も神社の社紋、家の家紋、着物の柄、太鼓の紋にも使われていますね。 太鼓の紋は、雷様の雷太鼓と似ていますね。 日本には多様な雷様の文化が残っていますね。 たかみむすびのかみさまは地球に限らず、宇宙空間の風と雷を司る神様と、いう側面が有ります。 元々は独り神ですが、男性寄り、陽、プラスの神様と、いう意味が有る事で知られていますね。 いざなみのみことさまが幽り世(かくりよ)に旅立たれた時にお生みになった、やくさのいかずちのかみさまも雷の現象を表す神様と、して知られていますね。 いざなぎのみことさまが禊ぎ祓えを、なさった時に川から、すさのおのみことさまが、お生まれに、なりましたね。 この御方は海、嵐、治水、利水、疫病避けの神様として知られています。 が、それだけではなくて、八岐大蛇を退治した時に豪雨災害避けの神様と、して、雷を司る神様にも成りましたね。 たけみかづちのおのかみさまは武道全般の神様、武器の神様、地震避けの神様、雷を司る神様ですね。 龍の神様は水、天候全般の神様のため、雷を司る神様と、いう側面も有りますね。 菅原道真さんは祟り神様、天神様、雷を司る神様、至誠の神様、学問の神様、こどもを見守る神様と、して知られていますね。 他にも雷を司る神様は、いらっしゃいますが長いので、ここまでに、します。 学生時代の私は理系教科・科目が苦手で文系教科・科目が得意でした。 雷が変態レベル並みに大好きなので、日本と世界の雷の文化を個人的に学んでいます。 ハンドルネームも、とあるバンドグループの楽曲名から付けました。 理系教科・科目が得意だったら、大気物理学を専門分野にして一生涯、雷の研究が、したかったです。 夜分、失礼します。 初めて情報提供します。 長文、おゆるし願います。
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ぶぜんノート (水曜日, 09 7月 2025 11:19)
藤丸さま
コメントありがとうございます。
前回の情報提供のおかげで、駅館川流域の貴船神社に注目することができました。
今回お知らせいただいた神社にも、いつか足を運んでみたいと思います。
今回の大神氏の情報もありがとうございます。
現地に行って、詳しく見てみなければ気付けない情報ばかりです。
また何かお気づきのことがあれば、お気軽にコメントいただけたら幸いです。
太宰少弐藤丸 (水曜日, 09 7月 2025 03:13)
ご無沙汰しております。ぶぜんノート様。
貴舩神社と鐘馗信仰のお話しを持ち出しました藤丸でございます。
長のご無音お許し頂きたく。
と申しますのもその後貴舩神社をぐるぐるしておりましたが、どうも八幡社?貴舩社?
どっちなの?というお社が多く、また申し訳ございません鐘馗さまを確実に確認
出来ますのが柳ヶ浦地区に住吉社と合祀されてされております貴舩社の奉納絵。
そして一番これを言わなければなりませんでした、法鏡寺の貴舩社について。
八幡信仰のきっかけとなります鷹居社。大神比義が黄金の鷹となって暴れる八幡神の
お怒りをお鎮めするため断食してお祈りしたのが起源なのですが、その駅館川を挟んで
法鏡寺廃寺跡地の真横に貴舩社(法鏡寺)。そしてそれを直線で結ぶ形で宇佐市文化会館ことウサノピア裏にお地蔵様のお堂があります。そのお地蔵様の隣に、ちょこんと
「おや?大変ご無沙汰しております!」と言わんばかりの京大阪の町家の軒先にいらっしゃった鐘馗さまが置かれていた。
そして一番驚いたのがこの地蔵堂の周囲が、なんと大神一族の累代墓地だったのです。
あまり人様のお墓を家捜しするのもバチあたりですが、この際後世に伝える歴史遺産の為お許し下さいと墓碑を拝見致しましたら、まず江戸期(古くは正徳、続いて享保、江戸後期~幕末文化、文政、嘉永年間)のお墓。明治以降はありませんでした(実は明治からの大神氏の足跡もあるのですが、また別のお話で)
そして最大の驚愕が、皆様一様に「大神朝臣北何某」つまり「私は大神一族の後裔。姓は“北”名前は〇〇衛門〇〇」というお名前でした。
宇佐の人間として長年やっておりますが、「大神さん」は少しいる。(多くは旧山香町、日出町にいますね)
そして大神一族といえば発祥は奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)とされ、この大分県には「豊後大神氏」つまり旧豊後国の方に緒方、臼杵、佐伯という各土豪や地頭として根付いた。「北氏」という土豪は県内どころかこの宇佐でさえ聞いた事がございません。
貴舩社も大神氏も畿内からやって来た。とありますが、この様な痕跡をみますとどうも
後世の創作ではないか?
しかも明治以前「北」といえば太陰暦と北極星の「北辰信仰」
ぶぜんノート様に下拝田までお越し頂き誠に恐縮ですが、また駅館川を遡上しますとかつて旧院内町入口に妙見権現。
些かずれますが、宇佐八幡の本宮とされる御許山。かつて大元神社を中心に正覚寺という大伽藍を誇る神宮寺があったそうですが、その後の時代かもしれません。その残骸と
言えば酷なのですが、そこの家政を取りまとめていた方「政所 大神直政」
一体大神氏とは?ついでに宇佐神宮と大和朝廷を結ぶ秦氏。この部族は痕跡さえ宇佐には
無いのに伝承だけが飛まわっています。
また与太話で申し訳ございませんがぶぜんノート様のご興味になります様なお話差し上げられましたら幸いです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
運営者 (月曜日, 23 6月 2025 09:19)
靂さま
情報提供ありがとうございました。
また何かありましたら、ぜひまたお知らせください。
文字が無い時代について調べていますので、視覚での歴史の情報、大変参考になります。
靂(かみのふるめき) (日曜日, 22 6月 2025 03:50)
巴紋は稲光を表すことを、初めて知りました。
雷紋が稲光を表し、魔除けの役割を果たしている事は、世界史、日本史、美術史を学んで知りました。
博物館に展示されていた土器や陶器に雷紋が有ったら、雷紋の知識を応用して鑑賞していました。
美術館に展示されていた掛け軸や絵巻物にも雷紋が有ったら同様に、雷紋の知識を応用して鑑賞していました。
さて、巴紋も神社の社紋、家の家紋、着物の柄、太鼓の紋にも使われていますね。
太鼓の紋は、雷様の雷太鼓と似ていますね。
日本には多様な雷様の文化が残っていますね。
たかみむすびのかみさまは地球に限らず、宇宙空間の風と雷を司る神様と、いう側面が有ります。
元々は独り神ですが、男性寄り、陽、プラスの神様と、いう意味が有る事で知られていますね。
いざなみのみことさまが幽り世(かくりよ)に旅立たれた時にお生みになった、やくさのいかずちのかみさまも雷の現象を表す神様と、して知られていますね。
いざなぎのみことさまが禊ぎ祓えを、なさった時に川から、すさのおのみことさまが、お生まれに、なりましたね。
この御方は海、嵐、治水、利水、疫病避けの神様として知られています。
が、それだけではなくて、八岐大蛇を退治した時に豪雨災害避けの神様と、して、雷を司る神様にも成りましたね。
たけみかづちのおのかみさまは武道全般の神様、武器の神様、地震避けの神様、雷を司る神様ですね。
龍の神様は水、天候全般の神様のため、雷を司る神様と、いう側面も有りますね。
菅原道真さんは祟り神様、天神様、雷を司る神様、至誠の神様、学問の神様、こどもを見守る神様と、して知られていますね。
他にも雷を司る神様は、いらっしゃいますが長いので、ここまでに、します。
学生時代の私は理系教科・科目が苦手で文系教科・科目が得意でした。
雷が変態レベル並みに大好きなので、日本と世界の雷の文化を個人的に学んでいます。
ハンドルネームも、とあるバンドグループの楽曲名から付けました。
理系教科・科目が得意だったら、大気物理学を専門分野にして一生涯、雷の研究が、したかったです。
夜分、失礼します。
初めて情報提供します。
長文、おゆるし願います。