
古来より、日本各地には数多の神々が祀られてきました。
しかし、その中には、歴史の表舞台から姿を消し、ひっそりと隠された存在として語り継がれてきた神様もいます。その代表格こそが、瀬織津姫(せおりつひめ)。
瀬織津姫は、水の神、滝の神、祓(はらい)の神として、古来より人々の穢れを清め、厄災を祓う力を持つと信じられてきました。
しかし、その名前が記紀神話から消されたり、他の神様の影に隠されたりしてきた経緯は、今なお多くの歴史愛好家が謎として追っています。
「なぜ、その存在は隠されたのか?」
今回は、その謎解き旅の一環として、岩手県内で瀬織津姫が祀られているとされる神社をリスト化しました。
自分のメモ代わりでもありますが、よろしければご参考にどうぞ。
*金谷神社
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/14152993.html
HPの記載に「明治維新に至り神仏分離・廃仏毀釈の布令が出され、権現は本地は仏である理由により毀釈の止むなきに至った。」
そばには「瀬川」が流れる。
*弘淵神社
〒028-3151 岩手県花巻市石鳥谷町江曽第9地割113
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/14152859.html
HPの記載に「時に元文4年(1739)、大旱魃にして、農作物悉く枯死せんとす。利教農民の苦難を見るに忍びず同年8月5日雨乞いをせしところ不思議にも大雨が降り出し、四隣を潤し、作物蘇生して成熟し、支配の人民は救われた。依て利教は地蔵尊を大明神として造立す。里人そのご利益の顕著なるに深く感銘帰依するところなり、地をトして一祠を建てて之を祀り、利教の許を得て之をに長楽寺の山号たる弘淵山の二字を冠して、弘淵大明神と敬称崇拝せり。
後に瀬織津姫命を合祀したが、明治維新になって、神仏混合を禁じられ、瀬織津姫命を祭神とした。」
*早池峰神社
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/14153718.html
そばに「稗貫川」が流れる。
境内に「白龍社」「岳妙泉寺跡」あり。
GoogleMapの投稿写真で「春日灯篭」を確認。
*田中神社
〒028-3201 岩手県花巻市大迫町内川目第47地割30
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/14152640.html
そばには「岳川」が流れる。
*大沢滝神社
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/14107132.html
神社の奥には澤が流れる。
HPに「前九年の役における秘史の生める御社で、源義家公が安倍貞任の娘真砂姫の霊を弔わんとて祠を建立し御鏡を奉献し、瀬織津姫を勧請し祀る。」と記載。
*新山神社
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/14083122.html
HPに「創立年月不詳。本神社は、元新山権現と称し瀬織津姫を奉祀し、水押村の氏神として崇敬していた。御神体の仮表として十一面観音丈四尺の木像があるが、誰の作なのか不明である。」と記載。
*新山神社
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/14026604.html
HPに「文政九年(1826)九月の風土記によると、当時は新山権現であり、本地仏は千手観音で慈覚大師の作と伝えられている。」と記載。
*氷上神社
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/13934874.html
HPに「更に文政十一年(1828)小梁川盛康代に現今の鎮座地なる山腹に遷宮再建をなし、一に正観音と唱え、本殿内に慈覚大師作と伝えられる鏡像の外、雄竜・雌竜と称する二個の霊石ありて、祈雨祭に雌竜を、祈晴祭には雄竜を清水に降して神事を行ない、これら三十三年毎に開帳するが、雄竜を天保十三年(1833)失うことになる。
明治四年(1872)七月、氷上神社と改称し、同三十二年(1899)一月、指令により無格社となる。現社殿は文政十一年(1828)に再建したものである。」と記載あり。
*早池峰神社
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/13934874.html
HPに「更に文政十一年(1828)小梁川盛康代に現今の鎮座地なる山腹に遷宮再建をなし、一に正観音と唱え、本殿内に慈覚大師作と伝えられる鏡像の外、雄竜・雌竜と称する二個の霊石ありて、祈雨祭に雌竜を、祈晴祭には雄竜を清水に降して神事を行ない、これら三十三年毎に開帳するが、雄竜を天保十三年(1833)失うことになる。
明治四年(1872)七月、氷上神社と改称し、同三十二年(1899)一月、指令により無格社となる。現社殿は文政十一年(1828)に再建したものである。」と記載あり。
*伊豆神社
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/13888809.html
HPに「遠野三山との深い関係があり、信仰の神社でもある。」と記載。
GoogleMapのクチコミに「ここ伊豆神社は遠野の神社の始まりといわれ、遠野三山(早池峰山 六角牛山 石上山)の女神の母神である瀬織津姫命が祭神として祀られています。(由緒書きより)」と記載。
そばには「来内川」が流れる。
*早池峰神社
そばには「滝川」が流れる。
ザシキワラシがいると有名な神社。
GoogleMapのクチコミに「遠野郷早池峰神社は、寺伝によると、平安時代の大同元(806)年、来内村(「らいないむら」)の猟師が、早池峰山頂に一宇を建立したのが始まりとされている。その後、斉衡年間(854年~857年)に、慈覚大師がこの地に来て、1寺を建立し早池峰山時福院妙泉寺と号した。」と記載。
*神遣神社
HP:https://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,73689,303,656,html
そばには「滝川」が流れる。
HPに「早池峯神社へ至る道の途中にある。もとは、神遣権現堂といい慈覚大師の開基と伝えられる。早池峯二十末社の首座。祭神として、早池峰、六角牛、石上の三山の神霊を祀る。神遣という名の起源は、遠野三山の女神たちがここから三山に別れたという故事によるものである。遠野遺産認定第14号の『伊豆神社』や認定第54号の『石上神社』とも関係が深い。遠野三山の女神伝説は『遠野物語』第2話に記されている。 」と記載。
*禊祓殿神社
〒026-0121 岩手県釜石市唐丹町片岸50−2 天照御祖神社(境内社)
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/13885864.html
唐丹湾近くの神社。
HPに「太古より天照御祖神社の御鎮座する小さな山の常龍山を御山と讃え全体を『神域』として尊んできた。」と記載。
*多芸神社
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/13885435.html
参考書籍の住所は「陸前高田市横田町字小坪」。
そばには「小坪川」が流れ、「小坪大滝」があることから、この神社と推定。
*熊野白山瀧神社
HP:https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/13917626.html
GoogleMapの投稿画像で「仁王像」を確認。
HPに「延暦十年(791)坂上田村麻呂東夷征伐の折、磐井郡司安倍黒人が田村麻呂に従い追討のため荒滝に来て賊を討ち、住民を安んじた。この時白山大神を桂峯に熊野大神を延寿原に奉祀した。寛治二年(1088)熊野大神を桂峯に奉遷して熊野・白山二神を合祀した。また大同年間(806-810)田村麻呂賊徒の強暴を鎮めんと祓戸大神を鎮座して神威を仰ぎ滝神社を奉安し、後この三神を合せて一村の鎮守とした。」と記載。
見つからなかった神社
*早池峰神社
下閉伊郡川井村大字門馬字大滝向2−10
参考書籍には掲載。
*白滝(清滝)神社
遠野市土淵町栃内7−13
参考書籍には記載。
*愛宕神社
遠野市綾織町田中
参考書籍には記載。
*滝神社
陸前高田市横田町字猿楽
参考書籍には記載。
参考書籍について
※書籍内の「瀬織津姫神全国祭祀社リスト」を参考にしておりますが、このリストは「神社本庁・各神社庁の資料、および各市町村史(誌)等を参考に、原則として『瀬織津姫』と祭神表示してまつっている神社に限定して掲載」しているそうです。(=天照大神荒魂・八十禍津日神・祓戸大神等の異称表記は除いておられる)
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