日本の歴史や信仰を深掘りする中で、特に興味を惹かれているのが、牛頭天王(ごずてんのう)と瀬織津姫(せおりつひめ)という二柱の神様です。
「消された神」瀬織津姫の謎
日本の神話において、主要な歴史書である『古事記』や『日本書紀』には、その名がほとんど登場しないにもかかわらず、各地にその痕跡が残る謎多き女神、それが瀬織津姫です。
彼女は一般的に、滝の神、水神、そして罪穢れを祓い清める神として信仰されてきました。
山岳信仰における不動明王と習合する神とも言われるなど、その正体は多岐にわたる説が唱えられ、いまだ多くの謎に包まれています。
近年では、記紀から意図的にその存在が「消された」「封印された女神」ではないか、という説も強く唱えられ、注目を集めています。
牛頭天王(スサノオ)と瀬織津姫の隠された関係

さて、この瀬織津姫と深く関係していると考察されているのが、牛頭天王です。
牛頭天王は、疫病を退散させる強力な神として信仰され、日本ではやがてスサノオノミコトと同一視されるようになります。
八坂神社の数の多さの謎を調べていた際に、上毛町垂水(たるみ)にある八坂神社の前身が、かつて「瀧ノ宮牛頭天王(たきのみやごずてんのう)」と呼ばれていたことを知りました。
そして、この瀧ノ宮牛頭天王は、播磨国飾磨郡(現在の兵庫県姫路市)の廣峯(ひろみね)神社から疫病鎮守のため勧請されたのが始まりと伝えられています。
廣峯神社は、弥生時代に素戔嗚尊を祀ったのが始まりとされ、京都の八坂神社の「元祇園」とも呼ばれている、牛頭天王信仰の重要な源流です。
ここで、「瀧ノ宮牛頭天王」という名前に注目すると、「滝」と「牛頭天王(スサノオ)」という要素が結びついていることがわかります。そして、瀬織津姫は「滝の神・水神」とされます。
この繋がりから、一つの可能性にたどり着きました。
それは、牛頭天王(スサノオ)と瀬織津姫が、かつては夫婦神、あるいは非常に近い関係性を持つ神として祀られていたのではないか、という推測です。
なぜ、その関係は「消された」のか?
上毛町の「瀧ノ宮牛頭天王」は、明治時代になる直前の慶応4年(1868年)に発令された神仏分離令によって「八坂神社」へと名前を変えました。
この改名には、単なる神仏習合の解消だけでなく、「滝ノ宮」と「牛頭天王」の繋がりを意図的に隠そうとした意図があったのではないか、という疑問が湧いてきます。
実際に、全国の他のエリアでも「滝」という名前が消された寺社があるという話も耳にします。
四国・徳島県でも、スサノオと滝宮の関連について発信している方もいらっしゃいます。
さらに、瀬織津姫の正体については、宇佐地方をかつて統治した「豊玉姫(とよたまひめ)」ではないかという説も存在します。
もしそうだとすれば、その豊玉姫と牛頭天王の関わりが消されていると考えることもできます。
謎は深まるばかり
八坂神社の謎から始まった探求は、いつしか「隠された神」瀬織津姫、そして牛頭天王(スサノオ)との深い関係へと繋がっていきました。
なぜ、これほど重要な神々の関係が歴史の表舞台から姿を消したのでしょうか。
「豊のくにあと」では、これからも、こうした歴史の「空白」や「謎」に光を当て、フィールドワークで得た情報や考察を交えながら、その真実に迫っていきたいと考えています。
さらに深堀り
これまで探してきた「右三つ巴紋」や「瀬織津姫」に関する記事も、今回のテーマと深く関連しています。
ぜひ併せてご覧ください。
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