三月下旬に、福岡県うきは市に一泊二日の旅をしてきました。
一日目は、うきは市浮羽町古川の素戔嗚神社に立ち寄り、二日目の午前中は、浮羽町西隈上の正八幡宮(隈上正八幡宮)へ。
正八幡宮の次に向かったのは、うきは市吉井町の若宮神社内「月岡古墳(つきのおかこふん)」「日岡古墳(ひのおかこふん)」です。
うきは市は古墳が多いエリアなのですが、そのなかでもなぜそこに行ったかといえば。
「月」と「日」が気になったからです。
「月岡古墳」と対のような場所にある「日岡古墳」。
以前、中津市の八面山信仰に関わる火渡り行事の取材に行った時、参加者の方から紅白の紙と縄をいただいた時(結界をつくるための縄)、「日の丸は白地に赤。赤は太陽、白は月を表すと言われています」と教えていただいたんですね。
それを思い出し、行ってみることにしました。
若宮古墳群の中で最初に造られた「月岡古墳」へ

月岡古墳つきのおかこふん
月岡古墳は、今からおよそ1,500年以上前の古墳時代中期 (5世紀中頃)に、 若宮古墳群の中で最初に造られた古墳です。全長は約80mで、墳丘の高さは前方部が6m、後円部が7m程度あり、前方部を西に、後円部を東に向けた前方後円 墳です。昭和60年代に行われた発掘調査で、前方部の外側には三重の濠が巡っていたことなどが確認されています。
今では古墳の形は若干崩れ、後円部にあった竪穴式石室は完全に失われてい ますが、江戸時代後期 (1805年・文化2年)に、多く副葬品がここから発見されています。現在、後円部墳丘上にある建物は、本来は石室があった場所に建てられており、石室内に置かれていた凝灰岩質の長持形石棺が、発掘当時のまま大切に保存されています。この石室や石棺の中からは、鉄製の甲冑・刀剣・鏃・馬具のほか、鏡・玉類など 多種多様なものが出土し、中でも、細かな文様を刻んだ金銅で飾った胃・脛当・ベルト金具鞍といった品々は特に精巧な作りで、朝鮮半島との強いつながりが指摘されています。また、長持形石棺という、当時、勢力を誇っていた近畿地方の有力者の古墳と同様の埋葬施設をもつことなどから、この月岡古墳に葬られた権力者は、大和政権とかなり密接なつながりをもっていたと考えられ、考古学的にも大変注目される古墳です。
若宮古墳群...周辺に分布する月岡古墳・塚堂古墳・日岡古墳の3つの首長墓
金銅装眉庇付胄
金銅装腔当一对
これらの貴重な出土品は、江戸時代の発掘の記録と共に一括して、昭和36年 国の重要文化財に指定され、現在、歴史民俗資料館に展示されています。
金銅製带金具
※古墳見学には予約が必要です※
平成17年3月
うきは市教育委員会
出土品に関するレビューは高評価で、歴史民俗資料館には絶対行ったほうがよいそうですが、今回は時間なく残念です。
行ける方はぜひ行ってみてくださいね。予約したら見学も可能なようです。


看板によれば、この建物の下に石室があったんですね。
この社は、長さ5.5メートル×幅2.7メートル程の多量の副葬品が出土した長持形石棺を御神体としているそうです。
出土品についてはうきは市立吉井歴史民俗資料館特別収蔵室で展示されていると。

こちらの「花本大明神」の石碑をどこで撮ったのか、忘れてしまいました。
写真の順番を考えたら、月岡古墳の最後か、この後、日岡古墳に行くために通った若宮神社境内かと思います。
調べてみたら、松尾芭蕉の句が刻まれているようでした。
なぜこんな場所に松尾芭蕉?
同じように疑問に思った方が記事を書かれていました。
月岡古墳の場所
〒839-1311 福岡県うきは市吉井町若宮366−1