日本の神話や信仰を深く探ると、一見、独立しているように見える神々や概念が、実は密接に繋がり、時には「対(つい)」として存在していることに気づかされます。
前回の記事で、「木の守護神」である句句廼馳神(くくのちのかみ)と、同じく「木の神」としての側面を持つスサノオノミコト、さらには伝説の渡来人徐福、そして「空の神」饒速日命が繋がる糸を考察しました。
今回は、この「対」という視点に焦点を当て、句句廼馳神と菊理媛(くくりひめ)、そして「隠された女神」瀬織津姫(せおりつひめ)と牛頭天王(ごずてんのう)が、日本の古代信仰の中でどのように「陰陽一体」の神々として織りなされてきたのか、その謎に迫ります。
「くく」の繋がり:句句廼馳神と菊理媛の対
前回の記事でご紹介した、伊良原で見つかった「木の守護神」である句句廼馳神。
その名に「くく」という響きを持つ神が、別の場所でも私たちに「対」の存在を示唆していました。
新潟総鎮守「白山神社」のウェブサイトには、御祭神である菊理媛(くくりひめ)の「くく」について、次のように記されています。
「くくりひめの「くく」とは木の祖神「句句廼馳の神」(くくのちのかみ)と申し上げて木がぐんぐん伸びていく様を。また、宇宙の大生命がぐんぐん伸び栄えてゆく生命の勢いを「くく」と表現し、「理」は「天の神を理といい、地の神を気という」と古書にあり、天の神様の事で、「媛」は女神、母性、万物を生み出すという意味であります。
(新潟総鎮守「白山神社」から引用)
この記述は、菊理媛の「くく」が、句句廼馳神の「くく」と同じ意味を持つ、つまり両神に関連性があることを示唆しています。
句句廼馳神は男神であり、木の根源的な精霊とされる一方、菊理媛は「媛」という名が示す通り女神であり、生命の伸び栄えを司る神とされています。
これはまさに、男性と女性、陽と陰、一対の関係性が神々の名に込められていることを示唆しているのではないでしょうか。
菊理媛は、日本神話においてイザナギとイザナミの仲裁に入ったとされ、「縁結び」や「和合」の神としても信仰されています。
この「対」を結びつける神としての性格もまた、彼女が陰陽のバランスを司る存在であることを物語っているのかもしれません。
天照大神の「荒魂」瀬織津姫と、水の神・祓いの神
前回の記事で触れた、江戸時代初期の修験僧・円空。彼が彫った天照大神の仏像には髭が生え、老翁の姿で表現されているものがあることをご紹介しました。
さらに、円空の仏像の中には、「阿賀田大権現(あがただいごんげん)」の像のように、瀬織津姫(せおりつひめ)の存在を想起させるものが複数見受けられたそうです。
瀬織津姫は、『古事記』や『日本書紀』の正史にはその名がほとんど登場しない、謎多き女神です。
しかし、大祓詞(おおはらえのことば)に登場する祓戸四神(はらえどよんしん)の一柱であり、水の神、禊祓(みそぎはらえ)の神として古くから信仰されてきました。特に、滝や川の早瀬に宿るとされ、穢れを清め祓い去る役割を担っています。
そして、一部の説では、瀬織津姫は天照大神の「荒魂(あらみたま)」であるとも言われています。「荒魂」とは、神の荒々しい側面、活動的で力強い側面を表すとされます。もし天照大神が男神であるならば、その「荒魂」としての瀬織津姫は女神であり、ここでもまた「男神(本体)と女神(荒魂)」という陰陽一対の関係性が見えてきます。
また、以前の記事でも触れましたが、「瀬織津姫は豊玉姫(とよたまひめ)である」という論文を参考に史跡巡りをしていたところ、国東半島の北端にある小さな神社の鳥居に「伊美崎社 菊理媛命」と刻まれていました。
菊理媛もまた「水」と「おはらい」の女神様であり、瀬織津姫と多くの共通点を持っています。
瀧ノ宮牛頭天王と瀬織津姫、そしてスサノオの繋がり

私たちが移住した豊前市からほど近い上毛町(こうげまち)の八坂神社。
ここに祀られていたのが、瀬織津姫でした。
この八坂神社は、かつて「瀧ノ宮牛頭天王(たきのみやごずてんのう)」と呼ばれていたそうです。
白鳳時代に建立されたという白鳳寺院「垂水廃寺(たるみはいじ)」の境内に、この地に疫病が蔓延した養老年間(717年~724年)に、兵庫県姫路市の廣峯神社(ひろみねじんじゃ)から勧請され祀られたのが、瀧ノ宮牛頭天王の始まりだったという情報を見つけました。
「瀧」という地名と、水の女神である瀬織津姫。
この繋がりは非常に納得がいくものです。
さらに、気になって「瀧」と「牛頭天王」を調べてみたところ、香川県綾歌郡綾川町滝宮に「瀧宮神社(たきのみやじんじゃ)」という神社が見つかりました。
この神社も、地名と神社名に「滝(瀧)」が付き、そして御祭神はなんとスサノオノミコトなのです。
滝宮神社は、かつては「牛頭天王の祠(ほこら)」と称されていましたが、明治以降に「滝宮神社」と改称され、御祭神がスサノオノミコトとなりました。
これは、明治の廃仏毀釈の中で、神仏習合によって牛頭天王と同一視されてきたスサノオノミコトに、改めて神名が改められた典型的な例と言えるでしょう。
つまり、
瀬織津姫(水の女神、祓いの神)
牛頭天王(疫病を鎮める神、スサノオと習合)
スサノオ(水の神、嵐の神、そして牛頭天王と同一視される神)
これらの神々が、「瀧」というキーワードを通して、そして「疫病を鎮める」「穢れを祓う」という共通の神徳を通して、密接に結びついていたことが見えてきます。
瀬織津姫が滝の女神、祓いの女神であるならば、疫病を鎮める牛頭天王・スサノオとの繋がりは、病気という「穢れ」を祓うという点で、まさに「陰陽一体」の役割を担っていたのかもしれません。
おわりに:点と点が繋がる古代信仰の深淵
句句廼馳神と菊理媛の「木の神」としての対、そして瀬織津姫と牛頭天王(スサノオ)の「水の神」「祓いの神」としての対。
これらの神々が、それぞれに男神と女神、あるいは荒魂と和魂のような「陰陽一体」の関係性を持って、日本の古代信仰を形成してきた可能性が見えてきました。
一見バラバラに見える神々の名や伝承が、実は共通のテーマや役割を持ち、太古の昔からこの地で信仰されてきた痕跡を、今に伝えているのかもしれません。
歴史の専門家ではない私ができることは、実際に残された石碑や神社の由緒書き、そして伝承の断片を拾い集めることだけです。
しかし、そうして集めた「点」が、時にこのように驚くほど繋がり、壮大な「線」となって、私の想像力をはるかに超える古代の信仰の姿を垣間見せてくれます。
この謎ときの旅は、まだ始まったばかり。
これからも、この地域の隅々にまで目を向け、埋もれた「隠された歴史」の糸を一本一本、丁寧に紡いでいきたいと思っています。
さらに深堀り
今回の記事で登場した「木の神」句句廼馳神とスサノオ、そして謎の渡来人徐福、空の神饒速日命がどのように繋がるのか。こちらの記事で詳しく考察しています。
天照大神の男神説や、円空の仏像が示す古代の神々の姿については、こちらの記事で詳しく考察しています
金毘羅様が「海の神様」ではなく「風と雲の神様」であったという事実、そして金毘羅宮の主祭神である大物主神が饒速日命と同一神であるという説、そして妙見信仰との繋がりについては、これらの記事も併せてお読みいただくと、より深く理解が深まります。