先日、「豊のくにあと」をご覧いただいた読者の方から、たいへん興味深いお便りをいただきました。
内容は、駅館川(やっかんがわ)流域に点在する貴船神社と、そこで祀られている“鍾馗(しょうき)さま”の不思議な関係について。
鍾馗さまといえば、京都や大阪の町家で魔除けとして飾られる存在。
それが、なぜ神社の社殿の中に祀られているのか──?
しかも、宇佐市の駅館川沿いの貴船神社に限って見られるというのです。
読者の方によれば、宇佐八幡との由緒のある大神氏が駅館川の貴船神社を建てていったそうです。
歴史資料にもあまり記されていないこの奇妙な配置。
民間信仰と神社神道が交わる場所に、どんな背景があるのか。
私も調べてみました
お便りの内容は、どれも非常に示唆に富んでいて、今後の調査の大きな手がかりになりそうです。
あらためて、情報をお寄せいただき本当にありがとうございます。
私自身も調べてみたところ、興味深い情報が見つかりました。
鍾馗信仰は、島根県の石見地方の「石見神楽」の演目の中で、素戔嗚尊(スサノオ)と同一視されていることが分かりました。
そう考えると、貴船神社の社殿内に鍾馗さまが祀られているのは、貴船神社の御祭神である高龗神(・闇龗神)に深く関わる可能性が出てきました。
上記の記事でも触れましたが、「滝ノ宮牛頭天王」が上毛町や、徳島県などで消えていった痕跡があることとリンクします。
滝(瀬織津姫)と牛頭天王が対、高龗神と闇龗神も対ではあるのですが、正体が分からない竜神でした。
それが鍾馗さまと素戔嗚が習合しているということは、高龗神(鍾馗=素戔嗚(牛頭天王)・闇龗神(瀬織津姫)の仮説が成り立つからです。
また、駅館川流域に集中して見られる点も重要です。
交通・交易と疫病の関係や、宇佐八幡宮と大神氏の動きなど、地域史と信仰の交差点として何か重大な意味があったのかもしれません。
鍾馗は唐冠を被り茅の輪と十束の宝剣を持ち、 病魔を司る疫神(鬼)を退治します。 石見神楽では特に重厚な風格を持つ舞で、 一番の花形の舞です。 この演目は、 唐の「鍾馗」の物語と能「鍾馗」、 須佐之男命(すさのおのみこと)と蘇民将来(そみんしょうらい)との「茅の輪」の故事が合体したものといわれています。
石見神楽公式サイト「能舞」鍾馗 から引用
そう考えると、貴船神社の社殿内に鍾馗さまが祀られているのは、貴船神社の御祭神である高龗神と闇龗神に深く関わる可能性が出てきました。
また、駅館川流域に集中して見られる点も重要です。
交通・交易と疫病の関係や、宇佐八幡宮と大神氏の動きなど、地域史と信仰の交差点として何か重大な意味があったのかもしれません。
分からないことだらけ。だからおもしろい
もちろん、まだまだ分からないことばかりです。
一つ分かればまた謎が増えたり、後戻りすることもあります。
でも、こうして少しずつ情報が集まっていくことで、いつか見えてくることがあるかもしれません。
「豊のくにあと」では、このような歴史の気になる点について、自由に情報を寄せられる場を作りました。
同じように「これ、何か引っかかるな」と感じた方がいたら、ぜひ声を届けてください。
記録に残っていない歴史の断片は、現地に、暮らしに、土地の記憶に、いまも息づいていると感じています。
駅館川流域の貴船神社にも、いずれ足を運んでいきたいと思います。