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貴船神社はかつて「木舟神社」と呼ばれていた。

京都の水の神、貴船神社のWebサイトに、気になる記述がありました。

 

貴船という地名が、かつて「木舟」と表記されていた。

この一つの情報が、私たち「豊のくにあと」が追い続けてきた、古代日本の「木」にまつわるつながりを示す手がかりとなりました。

 

日本各地に「木船」の地名や神社が数少ないものの、残っているようえす。

これらは単なる偶然なのでしょうか?

本稿では、貴船神社のルーツから、古代の人々が「木」に込めた意味、そして現代に受け継がれる「木の神々」の足跡を探ってみます。

貴船神社の起源に思われる「木舟」

貴船神社といえば、水の神様として、縁結びや水運の守護神として広く信仰されています。

しかし、その神社の由緒や地名の由来を深く探ると、興味深い示唆に突き当たります。

 

富山県高岡市福岡町木舟にある「木舟城跡保存会」のホームページには、こう記されています。

「木舟という地名は、京都市左京区鞍馬貴船町にある貴布禰総本宮(以下貴船神社という)の由来とされている。(中略)この貴船神社は、『古くは気き(樹木)生ぶ嶺ね(根)、黄船きぶね、貴船、木船』などの起源からとある。中でもこの『黄船』は、―神武天皇の皇母、玉依姫が、豊かな土を護り、国土を潤す、その水源を求め『黄船』に乗って淀川、鴨川を渉り、貴船川上流の、現在の京都の貴船神社に水神を奉祭した―と神社の記録にある。」

 

(木舟城跡保存会ホームページより一部抜粋)

この記述は、「貴船」の地名が「木舟」「黄船」に由来する可能性を示唆しています。

さらに、玉依姫が「黄船」に乗って水神を祀ったという伝承は、「木」が水神信仰と深く結びついていた古代の姿を想起させます。

 

なぜ、水の神を祀るのに「木の舟」が重要だったのか? そこには、古代の人々が「木」に抱いていた特別な意味があるのかもしれません。

「木」が語る古代の信仰:地名と神社の痕跡

貴船神社の例が示すように、日本の地名や神社名には、かつての「木」への信仰が色濃く反映されているように見受けられます

 

「豊のくにあと」ではこれまで、様々な角度から「木」と神々の関係を追ってきました。

 

  • 句句廼馳神(くくのちのかみ): イザナギ・イザナミから生まれた「木の守護神」。その名は「木の精霊」を意味し、日本の根源的な「木の神」とされます。伊良原の隠れ里に残るこの神の存在は、古代からの「木」への信仰を示唆しているように思えます。
  • スサノオノミコト: 荒ぶる神のイメージが強いスサノオですが、実は『日本書紀』には、その体毛から日本の様々な樹木を生み出し、その利用法を教えた「林業の神」としての記述があります。彼のもう一つの顔は、「木」が生活と文化の基盤であった古代日本の姿を映しているのかもしれません。
  • 「徐福=大物主=スサノオ」説: さらに踏み込むと、不老不死を求めて渡来したとされる伝説の人物・徐福が、スサノオや大物主と同一視される可能性も浮上します。彼が日本の地に持ち込んだのは、薬草だけでなく、高度な木材加工技術や、それを用いた文化であったのかもしれません。

 

これら「木の神々」の系譜に、「木舟」という新たなキーワードが加わることで、「木」が単なる資源ではなく、神聖な存在として、水の神や文化の発展と密接に結びついていたことが、より鮮明に感じられます。

「木」と「水」、そして「命」の物語

玉依姫が「木舟」に乗って水源を探した物語は、単に移動手段としての「舟」を描いているだけではないように思います。

それは、「木」が「水」という生命の源と一体となり、新たな文化や信仰を運んできたことを象徴しているように感じます

 

古代の人々にとって、「木」は、住まいや道具となるだけでなく、神々が宿る依代(よりしろ)であり、生命を育む根源でした。

「木舟」は、まさにその「木」の聖なる力が宿る器であり、神聖な水を求め、運び、そして祀るための存在だったのではないかとイメージしてしまいます。

さらに深堀り

「木の神」句句廼馳神とスサノオ、そして謎の渡来人徐福、空の神饒速日命がどのように繋がるのか。こちらの記事で詳しく考察しています。

 

句句廼馳神と同じ「くく」の名を持つ菊理媛、そして天照大神の「荒魂」とされる瀬織津姫、さらに牛頭天王といった「対なる神々」が、古代信仰の中でどのように織りなされてきたのか。その謎はこちらで深掘りします。

 

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