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豊後高田市の帆立貝式前方後円墳「入津原丸山古墳」へ

先月、豊後高田市最大の古墳(前夫後円墳)、真玉大塚古墳(致祭神社)に行ったので、今回は同じく豊後高田市内の前方後円墳「入津原丸山古墳」へ行くことにしました。

 

古墳の近くには、今まで立ち寄ったことがあるセブンイレブンがあり、多少の土地勘はあるエリアでしたが、古墳の入口となると話は別でした。

 

GoogleEarthで見ても、道が細いのでしょう。

詳細が分かりません。

豊後高田市の古墳のパンフレットにも、詳しい行き方は真玉大塚古墳の時と同様に載っていませんでした…。

 

もはや現地に行くしかないと行ってみたところ、やはり道がよく分かりません。

住宅街にいた方に、古墳の場所を尋ねてみました。

 

「古墳?この辺にはたくさんありますからね。なんて古墳ですか?ああ、それならすぐ近くですよ」とありがたいことに、入口まで案内していただけることになりました。

入津原公民館?
入津原公民館?

住宅街の奥へ進んでいくと、公民館または集会所といった建物が現れました。

おそらく「入津原」と書いているようでした。

 

 

入津原丸山古墳の看板
入津原丸山古墳の看板が目印

その建物の右奥に古墳の看板があり、更にその向こう側へと進めば古墳まであと少し。

本当にここを通ってよいのかと思うような民家と民家の間の道で、案内してもらえて大変心強かった。

 

入津原丸山古墳
入津原丸山古墳

住宅があるエリアを抜けると田んぼの畦道に出ました。

「ほら、あれが古墳です。『にゅうづばる』って読むんですよ。畦道を右に行って、左に曲がると古墳の名前の標識があります。そこから先に行くと古墳の上に行けます」と案内してくれた地域の方に教わり、そこから一人で古墳へと向かいました。

 

入津原丸山古墳の入口
入津原丸山古墳の入口
年季のは行った標識
年季のは行った標識

入口の樹木の茂り具合に、このまま進んでもよいのかと躊躇するも、意を決して進んでみました。

せっかくここまで来れたのだから。

 

入津原丸山古墳の石碑
入津原丸山古墳の石碑(入津原丸山古墳の箱式石棺が使用)
入津原丸山古墳の石祠
入津原丸山古墳の石祠

思ったよりも歩きやすい、ふかふかの落ち葉の道をのぼっていくと、古墳の頂上らしき場所に行き着きました。

 

平らになっていたその場所には石碑と石祠。

後で看板をじっくり見て分かったことですが、石碑は入津原丸山古墳の箱式石棺が使用されたものでした。

 

入津原丸山古墳の石碑
入津原丸山古墳の石碑(入津原丸山古墳の箱式石棺が使用)
入津原丸山古墳の石祠
入津原丸山古墳の石祠

おそらく「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑と、小さな石祠が向かい合うように立っていました。

もっとじっくり見ていたかったのですが、虫よけスプレーをしていなかったので早々に退散しました。

古墳からは特徴ある形の山が見えました。

なんという山だったのでしょう。

入津原丸山古墳の関連情報

入津原丸山古墳(にゅうづばるまるやまこふん)   (大分県指定史跡)

指定年月日 昭和四九年三月二三日
豊後高田市の海岸線には、約4kmにわたり5世紀から6世紀にかけての首長墓を中心とした古墳群があります。

5世紀以降に見られる古墳には、「円墳に造り出し(祭壇)が付くもの」や「前方後円墳の前方部が短小化したもの」があり、真上から見ると帆立貝のように見えることから、帆立貝式古墳とも言われます。

入津原丸山古墳はこれにあたり、墳長は70m(赤線)を超え、高さは10mと高く、円墳の中でも傑出しており、5世紀前半の首長墓と推測されます。

また、墳丘に沿って水田が作られ、濠(青線)存在が想定されます。

副葬品としましては、仿製銅鏡・勾玉・鹿角製刀装具・短甲などがあります。(現在は東京国立博物館蔵)

このほか、墳丘中央部にある記念碑は、入津原丸山古墳の箱式石棺が使用されています。

 

豊後高田市教育委員会

 

看板から引用

入津原丸山古墳は、円丘部の径は約70m、高さ約10m、神や祖先を祀るための施設とされる「造出(つくりだし)」(長さ約7m、幅約23m)を伴った長径約77mの帆立貝形古墳です。1901年に発掘調査が行われた際に鏡、革綴短甲、玉類、滑石製品などの副葬品が発見されています。


日本遺産 鬼が仏になった里「くにさき」から引用

入津原丸山古墳の場所

〒879-0607 大分県豊後高田市新栄

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