三月下旬に、福岡県うきは市に一泊二日の旅をしてきました。
一日目は、うきは市浮羽町古川の素戔嗚神社に立ち寄りました。
二日目の午前中は、浮羽町西隈上の正八幡宮(隈上正八幡宮)へ。

神社正面には鳥居と「下馬」と刻まれた石。
城や寺社の門前で馬を降りなければいけない場所であることを示す石のようですが…石自体は新しそうです。
馬を降りるということは江戸時代ぐらいからあった物かもしれませんね。
神社は、そこにある物は、できるだけその形のまま残そうとすると、耳にしたことがあります。

扁額には「八幡宮」と刻まれていますが、ん?

望遠で撮ると、八幡宮の「八」の字が鳥のようです。
目とくちばしがある。

さて鳥居から奥へ…と思うと、また「ん?んんん?」と大きな違和感が生じました。
狛犬の向こうに、初めて見るものが。

狛…鳥?
なんでしょう、この一対の鳥は。
阿形も吽形もない。
調べてみたら、久留米市の北野天満宮にもこのような鳥の石像があるそうです。
鳥の種類は「鷽(うそ)」で、ではこの正八幡宮も「鷽」なのかと思ったら、「鳩」という情報もあります。
どちらが正しいのか気になるところです。

狛鳥の手前の阿形の狛犬。

こちらは吽形。
あれ、頭に何かがあります。

逆サイドから見ても、不自然なふくらみ。
角があったんでしょうね。
調べてみたら、角がある狛犬はとても古いそうです。

狛犬、狛鳥と来て、また狛犬です。

阿形の狛犬。笑顔のように見えます。

こちらは口を閉じている吽形ですが、笑っているように見えます。

屋根に右三つ巴紋を発見!
ここ近年、右三つ巴紋について調べているのですが、稀に見つかると、とても嬉しいのです。


狛犬タイプの木鼻。
狛犬タイプは珍しいそうです。

社殿を回り込もうとしたら、小さな石像が見えました。


拝殿と本殿。とても立派です。

屋根にも意味があるんでしたよね。
まだまだ理解が追いつきません。

ここで正面に戻って、拝殿の手前の二本の石柱に注目すると

石柱の上部に右三つ巴紋が刻まれていました。

神社の本殿の逆サイドには、古そうな石祠が丸い石で組まれた石垣の上に並んでいました。

石垣の手前には古そうな石灯籠があり、「文化三寅八月」と刻まれていました。
「文化三寅」とは1806年に江戸で起きた大火のことを指すようです。
なぜ遠く離れた九州にこのような石灯籠があるのでしょうね。

石祠に花の彫刻あり。
これは椿?花の彫刻が石祠に刻まれているのも珍しい気がしますが、花ということは女神が祀られている可能性はありそうですね。

御神木らしい大木もありました。
ただしここの神社、他の木もかなり大きかったです。

境内の隅には猿田彦大神の石碑と

石碑の手前に

小さな狛犬でしょうか。
正面ではなく斜めを向いているように見えました。

入口の鳥居の扁額から謎めいていた【うきは市浮羽町西隈上】正八幡宮(隈上正八幡宮)。
なぜこうなっているんですか?とどなたかに聞けたらよかったのですが、神社には誰もいらっしゃいませんでした。
いつか分かることがあれば追記しますが、とても気持ちのよい神社でした。
またこの神社の近くには「妙覚古墳」と「塚花塚古墳」がありました。
古墳がお好きな方は、神社だけでなくそちらに足を運んでみてはいかがでしょう。
【うきは市浮羽町西隈上】正八幡宮(隈上正八幡宮)の場所
〒839-1404 福岡県うきは市浮羽町西隈上618