地域の史跡を巡る中で特に興味を惹かれたのが、「滝ノ宮(瀧宮)」という、ある種の存在です。
特に、豊前(ぶぜん)の八坂神社の謎を追ううちに、私たちは上毛町垂水(たるみ)にある八坂神社の前身が、かつて「瀧ノ宮牛頭天王(たきのみやごずてんのう)」と呼ばれていたことを知りました。
この「瀧ノ宮牛頭天王」という名前にこそ、探るべき「消された繋がり」のヒントが隠されていると感じています。

「瀧ノ宮牛頭天王」が語る古の記憶
この上毛町垂水の「瀧ノ宮牛頭天王」は、元正天皇の養老年間(717年~724年)にこの地で疫病が流行した際、播磨国飾磨郡(現在の兵庫県姫路市)の廣峯(ひろみね)神社から、疫病鎮守のために勧請(かんじょう)され、祀られたのが始まりと伝えられています。
廣峯神社は、弥生時代に素戔嗚尊(スサノオノミコト)と五十猛命(イソタケルノミコト)を祀ったのが始まりとされ、京都の八坂神社の「元祇園(もとぎおん)」とも呼ばれている、牛頭天王信仰の重要な源流です。
つまり、豊前国のこの地に、遠く離れた姫路の廣峯神社から、強力な疫病除けの神である牛頭天王が招かれ、「瀧ノ宮」という場所で祀られていたことになります。
これは、この地域が古くから牛頭天王信仰と深く結びついていた証であり、同時に「滝」という要素が、その信仰において重要な意味を持っていたことを示唆しています。
なぜ「滝ノ宮」の繋がりは「消された」のか?

しかし、上毛町のこの神社は、明治時代になる直前の慶応4年(1868年)3月に発令された神仏分離令によって、「瀧ノ宮牛頭天王」から「八坂神社」へと名前を変えました。
私たちは、この改名が、単に神道と仏教を分けるというだけでなく、「滝ノ宮」と「牛頭天王」という特定の組み合わせや、その背後にある信仰の繋がりを意図的に隠そうとしたのではないか、という疑問を抱いています。
実際に、他のエリアでも「滝」という名前が消された寺社があるという話も耳にします。例えば、四国・徳島県でスサノオと滝宮の関連について発信している方もいらっしゃるようです。
これは、特定の「滝」にまつわる信仰が、何らかの理由で歴史の表舞台から消されていった可能性を示唆しています。
「滝」に宿る神、そして「隠された神」瀬織津姫

「滝」というキーワードをさらに掘り下げると、日本の神々、特に瀬織津姫(せおりつひめ)の存在に行き着きます。
瀬織津姫は、滝の神、水神、そして穢れや罪を祓い清める神として知られる謎多き女神です。山岳信仰における不動明王と習合する神などとも言われ、その正体は記紀(古事記・日本書紀)から「消された神」ではないかという説も唱えられています。
もし、この瀬織津姫が、かつて牛頭天王(スサノオ)と夫婦神として祀られていたとすれば、「瀧ノ宮牛頭天王」という名前は、「滝の神である瀬織津姫が祀られる場所で、牛頭天王が共に信仰されていた」という、古の信仰の形を物語っていたのかもしれません。
さらに、その瀬織津姫の正体が、宇佐地方をかつて統治した「豊玉姫(とよたまひめ)」ではないかという説も存在します。
もしそうだとしたら、豊玉姫と牛頭天王の関わりが消された、という見方もできるでしょう。
歴史の「空白」に光を当てる
八坂神社の数の多さから始まった私たちの探求は、上毛町の「瀧ノ宮牛頭天王」という具体的な場所を通して、牛頭天王信仰、そして「滝」にまつわる信仰の奥深さ、さらには「隠された神」の存在へと繋がっていきました。
なぜ「滝ノ宮」と牛頭天王の繋がりは消されたのか? その背後には、どのような歴史的な意図があったのでしょうか?
「豊のくにあと」では、これからも、こうした歴史の「空白」や「謎」に光を当て、フィールドワークで得た情報や考察を交えながら、その真実に迫っていきたいと思っています。