移住してからずっと不思議に思っていた、宇佐市や中津市に多くの貴船神社が存在する謎。
「本拠地の京都には1ヶ所しか貴船神社が無かったのに、なぜだろう?」そう思って、色々調べては記事を発信しています。
そうしていくうちに、読者の方からのお便りで、「駅館川流域の貴船神社にのみ、鍾馗様が祀られている」と知りました。
ちょうど所用で宇佐市安心院町に行く道すがらだったので、豊前市から約40分ほどの距離にある、宇佐市下拝田の貴船神社に行くと、それまでに探していたキーワードをいくつも見つけることができました。
この記事では下拝田の貴船神社の後に向かった、安心院町戸方の貴船神社についてお伝えします。
里の駅「小岩」の近く、津房川沿いの貴船神社へ

下拝田の貴船神社から、山側に進んだ先が安心院の町です。
安心院には道の駅のような「里の駅 小の岩の庄(おのいわのしょう)」があります。
そこから徒歩で津房川にかかる橋を渡れば、すぐ左手に貴船神社(戸方)が見えます。

鳥居の扁額には「貴船社」と刻まれていました。
鳥居も扁額も、古くは無さそうです。


玉乗りタイプの狛犬。

狛犬の台には「昭和十一年」と刻まれていました。

鳥居と狛犬の奥、右手には、水の鉢と二種類の石灯籠が並んでいました。


いつの時代のものかは分かりかねましたが、宝珠の根本から生えている草木に目が引かれました。

もう一つの石灯籠です。
円柱の柱は、私が探している春日燈籠なのですが、この石灯籠には違和感があります。

石灯籠の台座と、そこから上の部分が全く質感が異なるのです。


こう写真を見比べてみると、台座と、傘部分から上以外、中間の部分が新しいもののように見えました。
全体的な形は春日灯篭なのですが、傘の下の部分には、春日灯篭の特徴のひとつである鹿ではなく、狛犬のような顔が刻まれていました。
まるでこれは、春日灯篭ではないと言わんばかりに。
でも、傘の角にある「蕨手」の部分は、はっきりと巻いています。
「蕨手」の紋様の歴史は古く、弥生時代からあると言われています。
一般的に春日灯篭は、その美しさから、春日大社以外の神社や庭園に置かれるようになったこと、現在も製造・販売しているそうですが、最近見かけた別の神社の石灯籠といい、何か意味があるのではないかと思っています。

由緒書きもなく、よく分からないため散策はここで終わりかと思っていたら、拝殿の奥、本殿の左側に何かが見えました。

拝殿を左に回り込んで、奥に行ってみると、崩れかけた石祠が見えました。

複数ある石祠の左上にも、茂った緑の葉の奥に、石造物が見えました。

複数石祠が並ぶところで、何か違うものが見えました。
角度を変えて、ファインダーからじっと見てみれば、三体の石仏がありました。
中央が大きく、左右に同じぐらい、子どもの双子のような石仏が。
最近、対となる「2」以外に「3」という数字も気になっています。

ぱっと見は、ごく普通の社殿ですが、石仏や石祠を隠すかのように建っていました。

石祠や石仏よりも、ずっと新しそうに見えた鳥居。
昭和初期の狛犬。
もしかしたらここも、明治時代に新政府が何らかの修正を施そうとした神社なのかもしれません。

里の駅に戻る時、由布岳が見えました。
右側の三つのコブがある山「由布岳」です。
豊前から来ると、由布岳しか見えなかったのですが、左の山も特徴的ですね。
終わりに:今回、津房川流域の貴船神社に鐘馗様は無かった
当サイトにお寄せいただいた情報によると、「駅館川流域の貴船神社のみ、鍾馗様が祀られている」
津房川は駅館川の上流にある川ですが、川の名前が違うと鍾馗様はいないということなのか。
今の段階ではまだ1ヶ所しかデータがありません。
これから数が増えていけば、また何か分かるのかもしれませんね。
貴船神社(戸方)の場所
さらに深堀り
春日灯籠の謎をさらに深掘りし、鹿がなぜ藤原氏の象徴となったのか、そして私が探している三つ巴紋の謎がどう関係していくか。詳しくはこちらから。
「なぜ貴船神社がこんなに沢山ある?本拠地の京都はひとつだった」謎について詳しく
歴史の謎の記事をまとめて読むならこちらから。
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