行きたいと思っていた史跡にようやく行くことができました。
その史跡とは、国東半島の西側に位置する「豊後高田市」にあります。
市内最大の古墳といわれる、前方後円墳「真玉大塚古墳」の敷地内にある「致斎神社」です。
真玉大塚古墳の上に創建された神社は元々は「貴布祢神社」と表記されていたそうです。
福岡県東部(豊前市・上毛町・吉富町)と大分県北西部の中津市・宇佐市に数多く存在する「きふねじんじゃ(貴船神社)」が、豊後高田市の最大の古墳「真玉大塚古墳」に創建されていたということは、やはり何か理由があるのでしょうか。
その理由とは何か、気になる方は、このサイトで紹介している「社紋が右三つ巴紋の神社まとめと考察」をご覧いただきたい。
貴船神社の真の御祭神が龗神(豊玉姫=菊理媛=瀬織津姫)ではないかという推測を、静岡理工科大学 名誉教授 矢田浩氏の論文をベースに、自分が理解できている範疇でお伝えしています。
よくよく考えたら真玉という地名は、豊玉姫と共通する「玉」という字もあります。
山頂にストーンサークルが立ち並ぶという猪群山が、この古墳からはよく見えます。
建物など遮るものさえなければ、中津市の八面山や宇佐の山々が見える場所でもありました。













真玉大塚古墳とは

真玉大塚古墳(豊後高田市指定史跡)
指定年月日 昭和52年1月12日
宇佐・国東は先史時代より、九州における海上交通の要衝であり、豊後高田市の海岸線には、約4kmにわたり5世紀から6世紀にかけての首長墓を中心とした古墳群があります。
真玉大塚古墳は、旧海岸線から30mほど離れた位置に築造された5世紀中頃の前方後円墳です。
平成6年からの調査により、墳長は100mを越え、二重の周濠を持つことが明らかになりました。しかもこの周濠を持つ県内唯一の前方後円墳です。
真玉大塚古墳は主体部が確認されていません。
しかも残念なことに、前方部では神社建設により大きく削平を受けています。
後円部でも土取りにより、激しく損壊をし、墳丘全体が、畑地、果樹園として利用されていたため古墳の形状が変化しています。
周濠の中からは、円筒の埴輪が出土しているほか、葺石も検出されており、海上からの眺望の意識した古墳が造られたと考えられています。
これまで、副葬品は確認されていませんが、昭和9年の神社新築の際に鉄刀が大量に出土したと伝えられています。
豊後高田市教育委員会
看板より
真玉大塚古墳・致斎神社の場所
〒872-1105 大分県豊後高田市西真玉
「真玉大塚古墳・致斎神社の入口がよく分からなかった」という感想をネットで見つけました。
古墳・神社の入口の目印は鳥居と左手前の小屋です。
古墳の南東部に入口があります。
分かりにくいと思うので、近隣のB&G海洋センターからの徒歩経路を以下に表記します。
参考になれば幸いです。
曲がる角で石塔・五輪塔を見つけたら、あとは古墳を目印に進めばたどり着けるはず。
(濃い青のルート)
この近くのスポットの記事
古墳の石棺が石碑に変えられている「入津原丸山古墳」へ。真玉大塚古墳から車で10分ほどの距離。
真玉温泉から歩いてすぐ。地域の方が「羅漢さま」と呼ぶ重野岩窟仏。