「豊のくにあと」の探求は、古代日本の歴史に隠された「リアル・ダヴィンチ・コード」のような、謎を解き明かす旅です。
これまでの重要な手がかりの一つが、神社や史跡に数多く残る「右三つ巴紋(みぎみつどもえもん)」でした。
現在の宇佐神宮の社紋が「左三つ巴紋」であるのに対し、この北部九州エリアから瀬戸内海、そして「木の国」和歌山(日本最古の龍神を祀る神社も右三つ巴紋)、宇都宮氏の元の本拠地であった関東エリアにまで広がる、数少ないながらも「右三つ巴紋」の分布は、単なる偶然では片付けられない、古層の信仰や、記紀神話以前の、あるいは記紀によって「上書き」された神々の存在を強く示唆していると思います。
私はこの右三つ巴紋が、本来の御祭神の姿や、特定の勢力の足跡を伝える重要なシンボルであるという気がしてなりません。
例えば、徐福の渡来ルートとの符合や、日本最古の龍神を祀る和歌山の神社の社紋であることなどは、その仮説を裏付ける力強い証拠のようです。
しかし、この右三つ巴紋の謎には、まだ解明されていない「もう半分」があります。
それは、なぜ「三つ」なのかという問いです。
「三つ」という数字が示す多層的な可能性
「三つ」という数字は、単なる数ではありません。古来より多くの文化や宗教において、特別な意味を持つ神聖な数字として扱われてきました。この「三つ」が、右三つ巴紋に込められた古代のメッセージを読み解く鍵となるかもしれません。
「三つ」が示す可能性として、以下のような複合的な意味に当てはまるのか、AIと一緒に考えてみました。
1.宇宙の生成原理、循環と完成の象徴:
- 私たちがこれまで探求してきた「男神と女神」「火と水」といった「陰陽」の二元性。しかし、「三つ」は、その陰陽が融合し、新たな力が生まれ、循環がもたらされる、より根源的な宇宙の生成原理を表している可能性があります。
- 仏教の「三宝(仏・法・僧)」やキリスト教の「三位一体(父・子・聖霊)」のように、「三」は完全性や真理、あるいは「始まり・中・終わり」といった時間の流れや生命のサイクルを象徴することも多いのです。巴紋の渦巻きがエネルギーの循環を表すとすれば、「三つ」は、より動的で完成された生命力に満ちた状態を示しているのかもしれません。
特定の「三神」、あるいは「三位一体の神」:
- 宇佐市の貴船神社(戸方)で発見された「三体セットの石仏」は、この「三つ」の謎を解く非常に重要な手がかりです。これは、特定の三柱の神々を祀っていたことを示すかもしれません。
- あるいは、一つの神が持つ多面性(例:創造・維持・破壊、あるいは天・地・人といった側面)を「三つ」として表現していた可能性も考えられます。もしスサノオノミコトが関わるとすれば、その多様な神格(荒ぶる神、疫病除けの神、文化をもたらす神など)が「三つ」に集約されていたのかもしれません。
特定の「勢力」や「氏族」の合流・象徴:
- 紋様は氏族の象徴でもあります。もしかしたら、「三つ」は、この信仰に関わった複数の(三つの)有力な氏族や、あるいは三つの異なる地域(例えば、渡来系氏族の出身地である日本・朝鮮半島・中国大陸など)からの影響が合流したことを示唆している、といった大胆な仮説も考えられます。

深まる謎
右三つ巴紋が示すものは、単なる家紋以上の、古代日本の根源的な信仰体系、そして「消された歴史」の痕跡であるという確信は強まるばかりです。
しかし、なぜそれが「三つ」なのかという問いは、依然として私たちの前に立ちはだかる大きな謎です。
宇佐神宮と貴船神社の関連性、そして全国に残る右三つ巴紋の痕跡。
これらの「点と点」が、いつか「三つ」の謎という最後のピースによって、完全に「円」として結びつく日が来るかもしれません。