本州生まれの本州育ちで、「磨崖仏」という存在を知らずに育った気がする。
それが大人になって北九州に住み、磨崖仏を見に行ったという人の話をチラホラ耳にするようになった。
磨崖仏とは岸壁などに刻まれた石の仏だというが、SNSやネットでの発信量が今ほどない時代は、どうにもイメージがつかなかった。
「磨崖仏」とは岩壁に直接彫られた仏像
岩壁に直接彫られた仏像を「磨崖仏(まがいぶつ)」と呼びます。インドや中国など、アジア地域の仏教圏で広く見られ、日本でも平安時代から全国各地でつくられました。そのうち、じつに6~7割が大分県に集中するといいます。
大分県では、約90カ所、約400体もの磨崖仏が確認されています。平安時代後期から鎌倉時代にかけて制作されたものは、とくに規模が大きく、優れたものが多くあります。この時期は、大分県域に天台宗(てんだいしゅう)系の仏教文化が浸透した頃であり、中央政府との関係が深かったため、仏像の制作が盛んだったと考えられています。しかし、誰がどのような目的で磨崖仏を造立したのかについては、いまだ謎に包まれています。
まっぷるから引用
北九州市から豊前市に移住して、日本で最も磨崖仏が多い大分県に距離が近づいた。
まずは国宝の臼杵石仏へ。
そして熊野磨崖仏へ。
臼杵石仏に行った時にSNSで投稿したら、国東出身の女性から「臼杵石仏は思ったより大きくないんですね」とコメントをいただいた。
臼杵石仏も十分大きさがあったと感じたのだが、たしかに熊野磨崖仏は国内最大級とある。
それほど大きさが違うのだろうか。
そんな疑問を持ちながら、「登山に近い」と聞いていたので蜂が出やすい時期を避けて熊野磨崖仏へ。
鬼の石段の角度!
しかし移住した求菩提山でも同じく「鬼の石段」があり、それまでに撮影で何度か登っていたので多少は慣れていた。
それに手すりもあったので助かった。
登った先に空間が開けた場所に現れるのが、予想よりも大きな磨崖仏。
臼杵石仏は京都の仏師が彫ったからか、仏像らしい石仏だ。
熊野磨崖仏の不動明王像は特にやさしい印象。
磨崖仏の先には神社があった。
どうやらそこで行き止まり。
神社の後ろには岩壁があり、石仏や石祠が並んでいた。
そこも信仰の対象であったのかもしれない。
熊野磨崖仏について詳しく分かりやすい記事は、こちらの「【コラム】『びじゅチューン!』放映記念 熊野磨崖仏徹底解説」からどうぞ。
(この記事内の写真は2023年に撮影したものです)