Googleフォトを見ながら、過去に訪れた史跡の記録を綴り直している。
仕事柄、つい「一眼レフを持ってきて撮ってから記事にしよう」と思ってしまっていたけど、結局後回しになるぐらいならアウトプットしておいたほうがよいと気付いた。
この記事は2022年12月7日に、中津市の闇無浜神社に行った時の記憶を元に書いている


中津城方面から山国川沿いをしばらく歩いて、右に曲がって住宅街に入った先に神社はあった。


御祭神が「瀬織津姫」とはっきり書かれている神社は珍しかったので、行ってみたかった場所だ。
海の近くで瀬織津姫が御祭神といえば、福岡県福津市の波折神社と同じだ。
この神社の元の名前は「豊日別国魂神社」で、明治5年に今の「闇無浜神社」と改称しているようだった。
明治時代は神仏分離が行われた時代なので、それに関連しているのだろうか。
最も古い御祭神は豊日別国魂神、瀬織津姫神。

神社内の看板には万葉集に「倉無浜」が詠まれているとあった。
作者は推定柿本人麻呂。歌人であり、古事記の本当の作者ではないかという説もある人物だ。
闇無浜は古くからの名勝地で別名は「竜王浜」。
そういえば神社の住所は竜王町だ。
境内には神霊垂迹といわれる「霊烏石(れいうせき)」があると書かれていたが、それがどこにあるかは分からなかった。
追記
この記事を書いた後も、豊のくにエリアの史跡を巡り続け、このエリアにはずっと昔、男女の一対の神の信仰があったのではないかと仮説を立てるようになった。
闇無浜神社の情報
〒871-0091 大分県中津市竜王町447
さらに深堀りする
「なぜ貴船神社がこんなに沢山ある?本拠地の京都はひとつだった」謎について詳しく
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