移住した豊前市から国東半島に行く一般道は大きく2ルートあって、主要な道路である10号線を通らない場合、海に近い側のルートを走ることになる。
その道沿いにあり、気になって何度か立ち寄ったことがあるのは宇佐市下高家の高家神社。
高家は「たけい」と読むようだ。
このエリアの近くを走ったとき、「宗像」という地名を見つけて不思議に思っていた。
宗像といえば福岡県の宗像市だ。
なぜかは神社の由緒書きを見て分かった。
宗像山王宮 高家神社御由緒(山王さま)
御祭神(宗像大神) 田心姫神・湍津姫神・市杵嶋姫神
当社は宗像大社(福岡県)の御分霊比賣大神をおまつりし、朱雀天皇の御代天慶三年三月下旬 (西暦九四〇年)に創祀された由緒ある神社である。
当社古文書に依ると、当時西国に戦乱ありて宗像郡は衆生土地荒廃し神徳を失い人族邪正となる。このことに依り、山神思想を捨て水女神信仰に鎮座の思想を遷して、新天地を求め堂を舟に遷し舟出。時に朱雀天皇三年三月下旬豊前国宇佐郡高家の浦着舟。水女神は波の光と共に赫き、ここは郷土擁護の神宣となし風波吹上の浦に像を造り祭る。
この時筑前宗像大宮司正三位中納言氏兼追従奉仕 (以下略)御創祀以来千有年の歴史の中で御着船・御祭神奉斎に由縁のある宗像氏・膳所氏・吹上氏一族の崇拝はもとより、高家郷の氏神として崇敬を仰ぎご社名も宗像山王宮・宗像宮・山王権現と称され、明治維新当時は宗像神社と称し明治五年五月郷社に列し、大正元年十月高家神社と改称。昭和十五年御鎮座壹千百年大祭を斎行、悠久の歴史と共に高家郷総鎮守の神として郷土民族を守護する御神徳に報恩感謝の祈りをささげ、格別のご奉賛をお願い申し上げます。
高家神社 由緒書 看板から引用
毎度のことながら由緒書きの解読は難しい。
正直言って、意味が分からない記述が多い。
本当にざくっとした理解であれば、宗像から元いた場所での山神への思想(信仰ではない?)を捨てて戦火を逃れ、水女神(誰?)を頼ってこの宇佐にやってきた…ということのようだ。
分からないことのうち「ここは郷土擁護の神宣となし風波吹上の浦に像を造り祭る」とあるが、吹上の浦に像を造り祭るということは、(風波)吹上という場所に水女神の像が祀られたということだろうか。
(福岡県大川市の古社「風浪宮」とも何か関わりが?)
「吹上」という地名がこの神社がある場所の近くにあるかと思えば、吹上という地名があるのは同じ大分県でも山側の日田市。
日田市に所在する吹上遺跡の墓域で発見された出土品は「大分県吹上遺跡出土品」として重要文化財でもあるようだ。
何か関係があるのか…。
ついでに言えば宗像氏はともかくとして「膳所氏・吹上氏一族」という氏族の名前が唐突に出てくる。
謎だ。
誰か分かりやすいように説明してほしい、いつかそんな人が出てきたら大変助かるなと思うことばかりの史跡巡りであるが、とにかく自分はフォトライターとして、分からないながらも見たこと、聞いたことを書き記しておく。
自分が分からなくても、誰かがこの記事を見て、調べてくれたり、教えてくれたりすることが実際にあるからだ。
分かっていることは、福岡県の宗像市から海を越えて宇佐市にやってきた氏族がいたということだ。
可能性としては、縁者がいた土地であったということではないだろうか。
高家神社の動画
春は桜の隠れた名所だと思います。もっと知られてもよい場所。
高家神社の場所
〒879-0308 大分県宇佐市下高家353−1