日本の古代史の謎を追う中で、記紀神話には深く語られない、あるいは意図的にその存在が曖昧にされた神々の足跡を探し続けています。
特に「水」「火」「木」「雲」「龍」そして「鹿」といったキーワードが、様々な地で意外な形で繋がりを見せてきました。
今回、その謎の糸が、九州最大の神社である宇佐神宮の、さらに深い歴史へと繋がる可能性が見えてきました。
ここでお話しすることは、現時点では明確な文献ソースを確認できていない部分も多く含まれます。
しかし、これまでの過程で得られた情報や、各地に残る伝承と照らし合わせると、非常に興味深い符合や示唆が見えてくるため、あくまで「一つの仮説」として、そして「さらなる探求の糸口」として提示させていただきます。
宇佐神宮の「原初信仰」に関する考察:一対の神の可能性
最近、この近辺の歴史に詳しい方から、宇佐神宮に関する興味深い示唆をいただきました。
それは、宇佐神宮の元々の御祭神は、「男神と女神」であった可能性が指摘されているというものです。
そして、その後に現在の八幡神へと変わっていったという見方も存在するといいます。
この情報は現在確認中ですが、もしこれが一つの側面を表すのであれば、これまで追いかけてきた謎と深く関わるかもしれません。
宇佐市や隣接する中津市には、比較的多くの貴船神社が点在しています。
貴船神社は水の神であり、多くは高龗神(たかおかみのかみ)と闇龗神(くらおかみのかみ)という一対の龍神を祀るとされます。
この貴船神社の分布と、先の示唆を重ね合わせることで、一つの仮説が浮かび上がってきます。
それは、もともと宇佐の地には、地主神として「一対の龍神」が祀られており、それが貴船神(あるいは木舟神)と呼ばれていた可能性があるのではないか、という推測です。
そして、その後に現在の宇佐神宮の祭神が形成されていった経緯と照らし合わせると、ある種の変遷のパターンが見えてくるかもしれません。
地域に根差した一対の龍神信仰があったとすれば、それが新しい信仰体系の中に取り込まれ、再解釈され、あるいは上位の神々へと統合されていった可能性も考えられます。
これは、日本の神仏習合や神道再編において見られる、信仰を完全に消し去るのではなく、形を変えて引き継ぐという方法と符合するかもしれません。
宇佐神宮境内に見られる様々な信仰の痕跡
宇佐神宮の境内マップやWebサイトの情報を改めて確認すると、探求してきたキーワードと符合する多くの社殿や場所が存在することに気づきました。これらは、宇佐神宮が多様な信仰を内包してきた歴史を示す、興味深い痕跡と言えるかもしれません。

①「水神」と「龍神」の要素:水分神社(みくまりじんじゃ)
宇佐神宮の最も根源的な聖地の一つとされる菱形池。八幡大神が現れたというこの霊池には、水分神社が浮かんでいます。
その祭神は、貴船神社と同じく高龗神。龍神・水神そのものとされます。
さらに「中島の竜宮様」とも呼ばれるこの神社は、宇佐神宮の根元に貴船神や龍神信仰が深く関わっていた可能性を示唆しているのかもしれません。

②「祓(はらえ)」と疫病鎮静の神:祓所、八坂神社(スサノオ)
祭典の前に身を清める祓所は、神道の重要な儀式が行われる場です。
また、境内の八坂神社には、疫病退散の神とされる須佐之男命(スサノオノミコト)が祀られ、実際に毎年鎮疫祭が行われています。
これは、戦乱や大地震、疫病が頻発した中世に、厄災を祓う強力な神が求められた背景と重なる可能性があり、スサノオ信仰の重要性を示す痕跡とも解釈できます。
③「木」と「高倉」:豊穣と古代信仰の繋がり
菱形池に隣接する木匠祖神社は、水の霊池にある「木」の神です。
これは、火と水を繋ぐ媒介として「木」が重要な役割を担うという私たちの仮説と関連するかもしれません。
また、祭器具を納める高倉という板倉は、瀬戸内海の龍神が祀られていた宇佐の高倉神社(高倉古墳内)と読みも字も同じです。
これは、宇佐神宮が周辺の古い地主神信仰、特に龍神信仰とも繋がっていた可能性を示唆しているのかもしれません。
④「鬼の石段」:伝承が語る歴史のレイヤー
宇佐神宮の「百段」の石段には、鬼が一夜で築こうとしたという伝説が残されています。この「鬼の石段」の伝説は、求菩提山や国東半島の熊野磨崖仏にも共通して見られます。これは、北部九州の修験道や民間信仰に共通するパターンであり、古くからの土着の信仰が、新しい信仰体系によって再解釈されていった過程を象徴している可能性も考えられます。
⑤「藤原氏(春日)」と「北極星」信仰:中央との繋がりと根源的な宇宙観
宇佐神宮の一之御殿には、藤原氏の氏神である春日大明神(天児屋根命)が祀られています。
これは、藤原氏が宇佐神宮の信仰や運営に深く関与していた、比較的明確な痕跡と言えるでしょう。
また、境内の北辰神社は、北極星・北斗七星を妙見として崇める北辰信仰の場です。
これは、国家鎮護や陰陽道とも深く関連する、より根源的な宇宙観が宇佐神宮の信仰体系に組み込まれていた可能性を示唆します。
⑥琴平神社(金毘羅様):隠された「空の神」の可能性
宇佐神宮境内には琴平神社も鎮座しています。一般に海の神とされる金毘羅様ですが、その御祭神である大物主は、本来「雲と風」の神様であったという説も存在します。
さらに、この大物主が、大元出版の伝承で徐福と同一視される「空の神」饒速日(にぎはやひ)と繋がる可能性も指摘されています。
もしこれが事実であれば、宇佐神宮の信仰が、記紀の記述とは異なる古代出雲王国の系譜や、外来の渡来系氏族の信仰とも深く結びついていたという、さらに深遠な仮説が導き出されるかもしれません。
宇佐神宮に眠る「信仰の重層性」
宇佐神宮の境内は、単一の八幡信仰の場というよりも、「水」「龍」「木」「祓」「スサノオ」「藤原氏(春日)」「北極星」、そして「一対の神」や「渡来系の神」といった、多層的な信仰の痕跡が凝縮された場所である可能性が考えられます。
これらの「点」が宇佐神宮という一つの場所で交錯していることは、古代史の謎を解き明かす上で、非常に興味深いものだと思います。
さらに深堀りする
「木の神」句句廼馳神とスサノオ、そして謎の渡来人徐福、空の神饒速日命がどのように繋がるのか。こちらの記事で詳しく考察しています。
金毘羅様が「海の神様」ではなく「風と雲の神様」であったという事実、そして金毘羅宮の主祭神である大物主神が饒速日命と同一神であるという説、そして妙見信仰との繋がりについては、これらの記事も併せてお読みいただくと、より深く理解していただけると思います
歴史の謎の記事をまとめて読むにはこちらから。
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